あんみんコム菊屋
(有)菊屋  静岡県磐田市中泉243  TEL:0538-35-1666   FAX 0538-35-1735   ■問い合せ

蚊帳(かや) と あんみん枕 と 三島 治




三島治   ◆三島治のプロフィール
1956年 静岡県磐田市で三島屋ふとん店の長男として誕生
1979年 福島大学経済学部卒業
  大学4年の時、父48歳で他界 卒業後、半年ほど東京で就職するが、家業の寝具店=菊屋を継いで現在に至る (有)菊屋代表取締役
1996年 ホームページanmin.com を立上げ 2005年 蚊帳の博物館を開設
2008年 まちかどのフィランソロピスト賞受賞 2009年 磐田市民賞を受賞

◆あんみん枕のプロフィール
1996年 枕博士・加藤勝也氏 ノップスピローを開発
 同年  加藤氏よりインターネット上での販売を任せられHPを立上げる
2009年 睡眠改善のためのロハスな枕 「ねいるケアあんみん枕」 誕生
2012年 各種安眠講座とともに枕つくりのワークショップを開始
2014年 イビキ防止 ねいるケア横向きベスト を開発・発売
2015年 40年ぶりに 三島屋ふとん店 本物ふとんを復活・復元

◆蚊帳のプロフィール 
1997年 安眠コム(www.anmin.com) で 蚊帳の販売を開始

  ーーー 以下、蚊帳がよみがえった軌跡 はこちらで ーーー

家族は妻・朋子と二男二女の6人家族 平成29年の年賀状 平成28年27年26年25年24年 23年 22年 21年  20年 19年 18年 17年 16年 15年・・・・と、おかげさま、成長の足跡です。

  ← 著書  どうぞ、蚊帳の中へ (本の風景社発行)

私の名前は名前は三島治。本を出版してから、はたと気がついたのですが三島由紀夫と太宰治。あの初恋を描いた「潮騒」や友情を描いた「走れメロス」を書き上げた日本の文豪の「姓&名」を頂戴していました。くれぐれも 晩年に、切腹したり、人間失格にならないように、謙虚な気持ちで、生を全うしようと肝に銘じます。


さらに、お付き合いください 1998年より、毎週月曜日の朝にお届け
週刊メルマガ【あなたにやさしい快眠情報 発行中!


マスコミ掲載・紹介 履歴


テレビ・ラジオ〜新聞・雑誌でも掲載&オンエアされました

こちらをご覧ください





小我から より大我を目指して

蚊帳 と あんみん枕 と 安眠術 と 私 の 聖なる偶然

 今、私は静岡県磐田市に住んでいて、日本の夏の風物詩から消え去ったかのように思われた蚊帳を、単なる蚊除けのモスキート(=蚊)ネットばかりではなく、ムカデ対策等の安心・安眠のスリーピングネット、安らぎと癒しのヒーリングネットとしても蘇らせ、人々が健やかで、安らかに過ごせるようにと、その様々な菊屋のオリジナル蚊帳を日本全国に、時には海外にも送り出している。

 また、その蚊帳の精神でつくった、睡眠改善のためのロハスな枕=「ねいるケアあんみん枕」をベースとした「あなたにぴったりの枕作りのワークショプ」を安眠講座【クスリに頼らない安眠術】と併用して行っている。

 このようになったのは、ふとん屋の倅(せがれ)に生まれたのだから、当然だと思われるかもしれませんが、決してそうばかりではありません。いつも、いつも、ありがたい不思議をいただいているなあと感謝しています。

なぜ、私はここにいるのだろうか? 私の出くわす場面にはどんな意味があって、そこから私は何を学ぼうとしているのか? そして、私のミッション(使命)は何なのか?・・・・・と自問自答を繰り返し、聖なる偶然を思い知らされがら、ここに自己紹介を記してみようと思います。


<両親のこと>

亡き父は祖父が若くして他界したため医者になるという志を捨て、大阪の叔父の下で修行をし手っ取り早く収入源となる小売業「三島屋ふとん店」をはじめた。昭和27年のことである。その時大阪で知り合った母を連れて磐田に戻り、開業したのであった。
当時、三島屋ふとん店ののキャッチコピーは「しあわせな夜をあなたに」とあちらこちらに掲げられていた。

物不足の時世、寝具(ふとん)は社会的な要請を受け、また化学繊維・マットレス等の出現は寝具の需要を高め、三島屋ふとん店もどうにか軌道に乗った商いをさせていただいた。その中で私たち妹弟も健やかに成長させていただいた。

しかし、昭和46年母は肺炎をこじらせ41歳の若さで他界。

同時期、父も白血病と判断され死の宣告を受けていた。父は商売を続ける気力を失い店を畳む覚悟でいたらしい。
そこに出会ったのが義理の母。義母は父に愛と勇気とチャンスを与え、父もしっかりそれに応え店を再興することとなった。支店・営業所を設け、三島屋ふとん店は時流に乗って勢いのある店であった。そんな中で私たちも再び、のびのびとした少年・少女時代を送らせてもらった。

しかし、以前より白血病で死の宣告を受けていた父にとっては、当時の商売のあり方は違うと思っていたようだ。
実際に販売している寝具は、化学繊維、ウレタンマットレスは、本当に良い「眠り」のためによいものだろうか?と疑問を持っていたようだ。
そして、父は亡くなる5年ほど前から インドより高品質の綿を取り寄せて 「本物ふとん」 を製造・販売をしていた。ここに貴重なテープが残っているが、これは父から私が受け継ぎ、そして次に受け渡すべきものであろう。
同時に父は、磐田の隣の浜松の地に「能力開発研究所」なるものを開設した。

父は人間の力をはるかに越える偉大なるもの(=神)の存在を信じ、朝晩の拝礼の習慣を私たち子供に義務づけ、神あることを知らしめた。おかげで私も何の抵抗もなく、大いなるものの存在を信じることが簡単にできるようになっている。
病気や困難に出くわす度に、今おまえは何を気づくべきかな?と私たちに諭してくれた。

「能力開発研究所」では,誰もがそれぞれに天から与えられた特技(個性)を活かすべく天の声が聞き取れるよう、こころを空にすること、清い心で眠りにつくこと、そのための眠りにつく前の心構え、一日の終え方・はじめ方等、自然に抱かれる「眠り」の啓蒙活動が展開された。
父の晩年の仕事は、ふとん屋ではなく、眠りと個性の発揮についての啓蒙活動であったと言る。

父からは、人は眠るのではなく、眠らされる存在だと教え込まれてきた。


<学生時代>

私は不思議なくらい、ことごとく大学受験に失敗し、最後の砦であった福島大学経済学部に拾ってもらった。世間では入学シーズンが目前の、昭和50年3月30日、「アダタラヤマニハルキタル・オメデトウ」の電報が我が家に届いた。

学生時代の私は、剣道部に所属し、日本経済史の唯物史観を専攻していたが、大学3年の夏休みには父の運営する「能力開発研究所」で父の手伝いを少々することができた。

ふとん屋の手伝いは妹たちがしてくれたが、私は人間それぞれの役割、使命について、例えば、同時代に生きたカール・マルクスと天理教の教祖中山みきの類似性と神懸かりについて父にレポートを書いたりした。・・・・・・唯物論的に神の問題を考えさせられた時期であった。今思えば、本当に懐かしく、いい思い出である。

この福島大学は、他と比べると、小さな大学だが、枕の権威者の故・加藤勝也先輩、地域学の故・下平尾勲教授、また魂の生まれ変わり・生きがいの創造の飯田史彦教授、金縛りの名人として有名な睡眠改善協議会の福田一彦教授など、卒業して30年以上になりますが、今でも、と言うよりも、今頃になってから、いろいろな方にお世話になっている。これも不思議なご縁です。はじかれ導かれて、静岡から福島への不思議なご縁です。

福田一彦教授にここ磐田までお越しいただきこの地域12校の高等学校のPTA研修会に「中高生の眠りとメンタルヘルス」の題名でご講演をいただき、地域で、学校で、眠りの勉強をさせていただいた。

また、平成21年9月19日に新聞発表された弊社のオリジナル枕・ねいるケアあんみん枕は加藤勝也先輩のご指導を受け、世に出すことができたのだが、翌月10月7日に加藤氏はご永眠されたので、枕博士として最期の集大成の枕となったのです。これも静岡から、福島大学へ、なんとか間に合ったという不思議なご縁だと感謝しています。

そして、この福島が平成23年3月11日の大震災と原発事故で痛めつけられ、大学の果たす役割も大きなものになっていることを目の当たりにしてきました。
私たちの時代にもそれなりに「知を力に!」とみんなと励まし合ってきたけれど、先生方をはじめ、今の学生さんたちの逆境での学びの姿勢にエールを送りたい。(開学90周年式典に出席して)私のゼミの教官で広島とこの福島で生涯に2度も被爆体験をもつ山田舜・元福島大学学長のお話もしみじみと伺ってきた。

私が福島で青春を謳歌いる時、父は、「人々が、生まれながらにして、それぞれにもち備えた特技・個性をもって社会で活躍できるように眠りを大切に育んでいく!」という使命感を抱きながらも、志半ばにして他界した。享年48歳。

その日は、私が大学4年生の10月1日。当時はこの10月1日が会社解禁日で、私は会社訪問の待機のため、東京で訃報を告げられ、会社訪問をキャンセルして、父の元に向かった。
死を予期していたのだろうか、父は他界する3日前に社名を「三島屋ふとん店」から「菊屋」に代えて逝ってくれました。

父亡き後、店を義母にお任せしたが、義母の再婚により、私は晩年の父の意思を継承するためにも、なんとか「のれん」だけはと言う思いで、私は東京でのサラリーマン生活にピリョウドを打ち、家業のふとん屋を継ぐことになった。

<まじめなふとん屋として>

昭和54年。すでに従前の寝具店の社会的使命は終了しかかった頃のことである。

それでも、私はふとん屋の二代目としてメーカー問屋さんの指導の下、あの手この手と、販売促進に励んだ。しかし、社会的使命を完了した業種・業態、そしてこの時節。物余りで一向に売り上げが上がらない。

おまけに寝具専門店よりも他のチャンネルで寝具を買う人が増えている。ふとんはふとん屋でという人は10人中1人にも満たないと言う。

この苦境の中にあって気付くこと、私の学ぶこととは?
「物の時代は終わったのだ。気づけ!気づけ!確認せよ」 と自らに言い聞かせるも、 なかなか店も自分も変わることはできない。物品販売を生業とさせていただいている身の上。売れなければ、生活が成り立っていかなくなるのだから変わるに変われない。

生業という、小さな自らの為の仕事だから駄目なのであろうか。

もっと大きな使命をもってしっかりと世の中の役に立つ仕事をなければならないのだろう、と、必死に思ってはみたのだが、また、生活することが優先となってしまって、お客様を追いかけ、追い詰めるような立場になってしまう。

そんなふうに大きなミッション(使命)と小さな自分の葛藤の中で、真にお役に立てるものは何であろうかと思いつつ、販売促進に身を投じてきた。

そんな思いをして、苦しんでいるところへ、やっと、こんな私の元でも、嫁いでくれるという女性が現れた。本当に嬉しかった。今の家内ですが、隣の隣の隣の隣の同じ商店街のおもちゃ屋の娘で、同じ保育園に通ていた同級生です。

その、もがいている中、仕事関係でも、いろいろな方との出会いがあった。

その一人が「眠道」を掲げられた、寝具の製造メーカーの株式会社イワタの故・岩田卓三氏。
商品開発に関してもスリープケアシステムを立ち上げ、目指せ睡眠の自然体を基本理念世界13ヶ国特許を有するイオゾンα2加工等の技術を駆使し世界に冠たる本物の羽ふとんの製造をメーカーのイワタの最高責任者でした。

私は父から受け継いだ本源的蓄積のもと、岩田氏からの指導を受け 「睡眠環境塾」 「羽毛研究所」に学び、一方では、「日本睡眠環境学会」の会員として、睡眠環境全般をみさせていただいてきた。

その後、日本睡眠改善協議会でも、公認の睡眠改善インストラクターとしての生活習慣の改善指導方法など、いろいろと勉強する場をいただきました。

物は具現化して、後からついてくるものだと、人々の「眠りの質の向上」に働きかけることが自分たちの使命だと言い聞かせ、地元でまじめなふとん屋として歩んできた。

<使命(ミッション)と生業>

自分たち中小零細企業、とりわけ地方の商店は、メーカーがつくったものを販売して、そこからの利益(=売上ー仕入)で生活をしている。

何処の町に行っても、その町には、それぞれの業種の各メーカーの製品を元気に、頼もしく販売する小売業がたくさんあった。ふとん屋、洋服屋、おもちゃ屋、運動具店、化粧品店、電気屋・・・・・がそれぞれ自分たちの生活圏をしっかり持っていた。それで、生活をしてきた。

そして、その生業としての仕事とは別に、学校のPTA役員や、消防や、お祭りの担い手として、地域社会の役に立ってきたつもりだった。私なんかも、娘の通っていた高校のPTA会長として卒業式や入学式で喋らされた。これまた、書き直しては何度も、何度も読み返さねばならない、手間と時間を要するものだ。・・・このような役は、時間の自由がきく、地元の自営業者に回って来るものだ。

地域社会に、しっかりと根を生やして、養分を吸収させていただく代わりに、酸素の供出や、きれいな花を咲かせて地域の人々に喜んでもらったりしてきた。
もちろん、物品販売業者としても、住人の役に立ちながら、地域に生かせていただいた御礼も、ご恩返しもしてきたつもりだった。私たちの仲間は、元気に繁栄した植物のような、小売業者であった。

そこへ昭和40年半ば頃から、そんな地域社会に餌を求めて、動物がやってきた。大きな資本の大型店である。ナショナルチェーンの量販店である。まず、中心市街地の商店街に進出して、次に餌を求めて郊外へ出て行った。

役に立つと言うことは、絶対評価ではなく、相対評価によって決まるものである。より良くて、より安く、より豊富な中から、より便利に、・・・・といった相対評価でもって決められる。だから、物品販売だけなら大型店の方が役に立っていると言えよう。
そんな中で、役に立つことが困難になった、小さな小売業者は、だんだんとお店を畳んでいくしかなかったのだろうか。

2007年2月に、これまた不思議なご縁で30年ぶりに福島大学時代の恩師、故・下平尾勲先生の最後の講義を聴かせて頂いた。先生の言われた「中小企業は倒産する運命にある」は なるほどと、思わせる一面があるけれど、世の中に役立つように変化し続けていくことが経営課題だと思います。そうすれば、倒産しないで行けるものだと思い、世の中の役に立つ変化の方向を模索してきたつもりだと話すと、下平尾先生は「君は勉強はさほど優秀ではなかったように思い起こしたけれど、勉強の仕方を身につけていてくれて、嬉しいよ」とお褒め(?)いただいた。

件の動物たちは、我が者顔で、たくさん餌をあさって、なくなるとどこかへ移動していくのですが、植物である地域の小売店は何処へ行くこともできずにへたばってしまう。弱肉強食とも言える自然界の掟でもありましょう。

役に立たなくなったら、お呼びでなくなったら、「これまた、失礼」とその場を去らなければならない。存続も許されなくなる。

ただ、ここで問題になるのは、その動物がどこかへ行ってしまうと、巨大な店舗は廃墟となり、街そのものも、寂れていくということだ。・・・・・・私たちの商店街も、名前はジュビロードと全国区なみですが、ご他聞にもれないシャッター通り、何とか役に立つように変わらなければと思っているが、相対評価をされて、誰に対して、どのように役に立つのか、役に立たしていただかなければ生きていけない身の上だと言い聞かせているのだが・・・・。

生業として立っていけなくなった時、もう一度、使命を考えるべきだ、
「我が身助かりたかったら、人に尽くせ」の理を、実践を通して証明させたいと思ってきた。

<眠りの勉強>

人々の役に立っていくことが、生きる力となることだ。
となると、生業として商売をするには、もっともっと、いろいろな勉強をしなければならないということ。
戦後まだ物が足りなかった頃は、物の供給だけで役に立っていた。
その後、社会の仕組みや機能が変わって、勉強しなければ役に立たない時代になっていった。

モノだけでなくコトにも精通しなければならない、それを具現化した商品を開発して、販売しなければならないと思ってきた。

相対的に役に立つためには大型店対策もその一つだが、いろいろな面で、生業が高度化していかなければならない。
兎にも角にも、役に立つように自らを改造しなければならないし、その役に立つことがそのまま、生きる力となるのだと思いました。子供たち4人が通っていた小学校での学校運営協議会でも「生きる力とは役立つことだ」と主張してきた。

生きる力とは、そのまま、世の中で、生かされる力であり、生きるのではなく生かされているとも言えそうだ。

私も店も、より良い眠りを提供することによって、役に立てるのであり、どんなに苦しい時でも、つらい時でも、夜はぐっすりと眠れるようにしてあげなければならない。

よく眠れると 笑うことが出来るはず。
よく眠れると 人生課題にしっかり立ち向えるはず。
よく眠れると 疲れがとれてファイトが沸くはず。
よく眠れると 穏やかになり優しい心になるはず。
よく眠れると 夫婦愛和、家庭円満、家内安全となるはず。
よく眠れると 頭がさえて、いろいろなひらめきも、もらえるはず。
よく眠れると 世の中平和になるはず。

人は「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」とアランの『幸福論』と同じように人は眠れば幸福になれるのだ。
そのような眠りが提供できれば役に立つ存在になれるのだが、人は眠るのではなく、眠れされている存在、もっともっと、眠ることについて勉強して、役に立つ存在になりたいと思ってきた。

田舎町のふとん屋風情でありながら、日本睡眠環境学会で、1999年 2000年 2002年 2003年 と 眠環境改善第三の鍵 「共生〜共眠」 を唱え続けてこれたのも不思議である。この時も、枕博士の加藤勝也先輩にたいへん励まされた。

<「生きる力」と「眠る力」>

「生きるのではなく生かされている」と言うことと「眠るのではなく眠らされている」が同じだと思ってここまで来た。

戦後60有余年を経て、日本人の生きる力が低下したとよく言われる。
同様に、眠る力も低下して、日本人の半数不眠 3割が自覚症状ない潜在的不眠症!と言われている。

実際に自分の睡眠力をチェックししてみると自分の睡眠度が分かる。これは不眠チェックの国際基準だ。

役に立ってこそ、生かされる、「我が身が助かりたかったら、人に尽くせ」と教えられた人の生きる道は、正しいことだと思っている。

睡眠力も自分のことだけ考えていては駄目だと思う。
実際に 自分もそうだが眠れないで困った時に眠ろう、眠ろう、眠らなければと、もがくとますます眠れなくなる。
そんな時には自分のことを一旦、棚に上げて、世界中の人々が平和で安眠できるようにと祈ることが自然に、自分も眠りに導かれる術であると試してきた。自分が先に行くと上手くいかない。頭の良い人でも、自分のことばかり考えると頭の中が混乱してくる。
実際に、学生時代に、あんなに勉強のできた人が、残念なことをしている場合もある。

生きる力と、眠る力。自分で生きているようで、生かされている。眠っているようで眠らされている。
そのような天然自然の法則のようなものがあるのだろうと感じながら、人々に、心も身体もやすまる「安眠」を人々に届けることができれば、それが生業となり、自らも助けていただける。生きる力も授かる。
そのような道理をいつの日にか確認できたらと思ってきた。

先代の掲げた「しあわせな夜をあなたに」と言うテーマを、自分が後を継いで数年後に「人々に健康で快適な眠りを届ける」と書き換えてふとん屋をやってきた。

そしてその思いをインターネット上にも載せようと試みたのだった。
田舎町のふとん屋として、どこよりも早いインターネットへの取り組みができたのも不思議である。

父が亡くなったのが大学4年の10月1日・会社解禁の日でした。予定していた会社への就職は白紙になり、父の葬儀等を終えてから、東京の商事会社に就職。そこで全国の支店との集配信業務を行うコンピュータ室へ配属となりプログラムの教育も受けさせていただきました。

磐田に戻ってふとん屋となってから、すっかりコンピュータとは縁遠くなっていたが、「昔ととった杵柄」とばかり勝手に「自分はパソコンが使いこなせる!」と思いこんだのでありました。あの時、あの会社に、そしてコンピュータ室に配属されなかったとしたら・・・・父が10月1日に他界しなかったとしたら、安心と安眠、心和ませる蚊帳や、睡眠改善に役立つロハスな枕をお届けすることは、どう考えてもできなかったであろう。

<あんみんドットコム菊屋の誕生>

1996年、5月に40歳の誕生日に思い切ってパソコンを購入し、あんみんコム「www.anmin.com」のドメインを取得してホームページを立ち上げた。 <ホームページの歩み

関西大震災を通してもインターネットの有用さが認めらはじめていたが、自分にとっても「40の手習い」との挑戦であった。夜を徹しても、なんとかパソコンを使って、役に立つ存在になるべく、必死で取り組んだ時期だった。

現場で学んだ「眠り」のことを、いつも口頭で言っていたことをインターネット上に載せることに励んだ。
幸運にも、その年の初めに加藤勝也氏が特許を取得して開発した「ノップス・ピロー」のインターネット通販を私に任せてれたのが大きな励みとなった。

そして、最初に作ったホームページが、―あなたに合った枕を探し提供するーというものだった。

たかが枕、されど枕、枕は小さな巨人であること、良質の睡眠を得るためには枕は不可欠で、ピッタリとフィットした枕は正しい寝姿が保たれ、呼吸も楽になり、頚椎を優しく支える、そんな枕はより良い眠りのための大きなファクターだと一生懸命に打ち込んだものだった。

さらに、この物理的な睡眠環境のための三つの要因として●正しい姿勢で寝ること●寝床の適度な湿度は50%●適度な温度は33度を保てるように、枕からはじまって、敷ふとんから、掛ふとんへと、現場と同じようにより良い眠りを提供するふとん屋をネット上に載せることをしました。

1996年当時、まだインターネットはマニアックなもので、生業としてご飯を食べていくまではとてもいかなかった。

私のインターネットでのがんばりに家内からは「お父さん、そんなところに座ってばかりいないで、外に出てふとんを売って来て」とハッパをかけられ、足で稼ぐ営業実践もせずに、机(=パソコン)に向かうと言う行動に後ろめたさもあり、パソコンに関わる時間帯を午前3時頃からお店のシャッターを開ける9時までと変更し、後は営業に勤しむ、このみんなが寝ている間に、なんとか活路を開き、世の中の役に立つような存在にしよう。さもなくば、一族郎党は生きていけなくなってしまうと、希望と危機感が、混ざり合ったなかで、懸命にパソコンに取り組んだ時代でした。

当時のことはインターネットを始めた頃の私の夢としてウェブ上に残してあります。

<ネットでネットが!? インターネットで蚊帳の復活>

インターネットはをはじめて、遠方の方からの枕や寝具の注文があった。枕なんでも相談会などで、何度も何度も問い合わせに応えさせていただき購入していただく場合もある。インターネットはインタラクティブ(=双方向)で、使用感やアフターフォローなども現場同様にできるのだが、ネットで購入した顧客から、蚊帳についての問い合わせがあった。店頭ではなかなか見かけられなくなった蚊帳だが、ふとん屋としては手の届くアイテムですぐに、滋賀県でつくられた蚊帳を京都西川から仕入れてお届けした。
※2000年まで存続していた日本蚊帳商工組合の理事長が京都西川の当時の社長・石橋武夫氏であった。

自由にパソコンを使うことができる明け方、静かにネットにネットをアップしたのは、この時のことだった。

これが(インター)ネットで(モスキート)ネットのはじまり、蚊帳と菊屋の復活の第一歩だった。百貨店でも見つからない、どこにも販売されなくなった蚊帳を提供させていただくことで役に立たせていただき、生き残れる道が見つけられた時であった。

ネット上のネット(蚊帳)の中に、一人また一人と蚊帳の中を覗きに来る人が増え、蚊帳がインターネットで 蘇る兆しが見えてきた。

<同時期、ガイアシンフォニーの上映会>

蚊帳と菊屋の復活に一役をかったのが、1997年、龍村仁監督の1992年の作品「地球交響曲・ガイアシンフォニー」の上映会であったと振り返ることができる。

ガイアシンフォニー・地球交響曲はガイア(地球)の声が聞こえますか?と呼びかけて、地球と共に生かされている「いのち」に耳を傾けさせられる映画で「癒しの映画」とも呼ばれています。
映画を観ると、生きている私たちは生かされている存在でもあると感じます。
同じように、眠ろうと思ってもなかなか眠ることができない私たちは眠るのではなく、眠らされている存在だと思ってきました。ガイア(地球)の声を聞きながら、ぐっすりと眠りに就いていく、母なる地球と、手も足も出すことのできない「眠り」の意味を考えながら、より豊かな眠りに仕上げるコツについて考えさせていただきました。

大きな映画興行会社からは相手にされなかった、ヒットするはずがないとお蔵入りを余儀なくされていたこの映画が、口コミで、全国あちらこちらで自主上映されているという、奇跡が起り続けていたのです。そしてガイアシンフォニー第一番から二番、三番・・・・七番と続いている。

次から次へと広がり続けているのです。この映画界の奇跡の現象だといわれたことも、その後の調査では、この映画に感動した人が、自分の家族、友人、知人などにその想いを心から熱心に語り始めたから起きたものと判明しました。まさに個別に電話、FAXなどで、その情報が一挙に伝播し始めたのでした。
素人の”心からの想い”が、ひとりふたりと拡がり、専門家でさへ売れないと判断した映画をここまで、押し上げてしまったのでした。

この映画の存在を知った私は40歳定年の「青年会議所」も「商店会連盟青年部」も卒業して、既存の組織ではなく、インフォーマルでまったく新しい、共通の目的意識でつながったインターネットのネットワークから出来上がったみんなの力で、磐田の地での上映会が実現された。インターネットのつながりで全国からたくさんの助っ人が磐田に集ってくれた。ガイア史上でも、インターネットによる自主上映会はこれが最初であったと思います。

龍村監督は「人の心が生み出した『地球交響曲』:ネガティブな状況こそ、ポジティブな世界を生み出す源泉」と題するメーッセージの最後に次の言葉を引用しています。まさに、 『人間の想像力は、単なる絵空事ではない。人は心に描いたことを必ずいつか実現する。そのために神は、人間に想像力を与えたのだ』=フリーマン・ダイソン(地球交響曲第一番より)

物売りのふとん屋から脱皮してどうすれば、世の中の役に立ち、喜んでもらえる存在になれるかと、あれやこれやと試行錯誤のうち、40の手習いでホームページを開設したのが1996年。
生きる道を捜し求めていた寝具店菊屋よ今こそ変態を!と、ネガティブな状況に置かれている私にとっての挑戦であり「気づき」となったガイアシンフォニーの上映会でありました。この自主上映会から菊屋は本格的に蚊帳の販売と開発を開始しました。

<顧客の求めにどこまで応えられるか → 生きる力をアップする>

最初は家内にもばれないように、隠れて「そおっと」アップした蚊帳への注目は日を追うごとに高まって行いった。

蚊帳を扱うようになって、「蚊帳」という字を読めない人が大半なのに、「蚊帳の外」という言葉だけが生き残っていることに怪訝な思いを持った。蚊帳は歴史の中で消えて行く運命にあるのか。 しかし、蚊帳は死滅した訳ではなかった。

小さな子どもがいるので、できるだけエアコンを使いたくないという若い親御さんたち。
アレルギーとか喘息をお持ちで、できるだけ化学的なものを住空間に入れたくないというお客様。
そんな方々がどんどん「蚊帳の中」に戻って来てくれた。蚊帳の外は寂しいけれど、蚊帳の中は心地良い。

蚊帳のすばらしさには、私自身が驚かされた。

蚊帳には、殺虫剤を使わない、生地そのものの蒸散作用によりエアコンを使わなくても内部の気温を低くする効果がある、といったパッシブな効用ばかりではなく、家族がひとつの空間に集い、穏やかな夜の時間を過ごせるなどの精神上の効果もある。
その昔は、カミナリが鳴ると、蚊帳の中に逃げ込んだほど、安心できる空間であった。
薄れ行く記憶の中で、たとえば「夏休みにおばあちゃんちで入った蚊帳の記憶」といったものに郷愁を感じる人も少なくなかった。
そんな現代社会での蚊帳の効用もまとめてみた。

環境にやさしいばかりか、その心理的効果は世界平和にまでつながっていくものではないか。
実際に、アフリカではマラリアで年間150万人もの子供が亡くなるといわれている。
インターネット上で蚊帳をキーワードで検索したところ、ヒットしたのが菊屋だけだったと、日本国政府からセネガル共和国などに蚊帳を援助物資として20万張りほど贈りたいが見積もりを御願いすると言った依頼も受けてたいへん戸惑ったこともあった。

眠れない日本人が増える中で、自分を棚に上げて、アフリカの子供たちがぐっすりと眠れますようにと祈れば日本人の不眠は解消され、ぐっすりと眠ることができるのではなかろうか!と 、
眠りに関する哲学がしっかりした形になって行くのを感じさっそく、アフリカへ蚊帳を贈る運動などを呼びかけた

蚊帳の売れ行きはどんどん伸びた。それに伴って、顧客からの問い合わせも増えてきた。

そのひとつが、「ベッドでも使える蚊帳はないの」という要望に、ベッド用の蚊帳を開発
「蚊だけでなく、ムカデなどの害虫が入ってこない蚊帳はないの」という要望には、ムカデ侵入防止蚊帳を開発
お客様からの声がたくさん寄せられ、地元に開学した静岡産業大学の当時の経営学部長=故・鈴木正也教授の分析(=21世紀の蚊帳の中の人間像)をも含めた著書「どうぞ、蚊帳の中へ」の出版もできた。

さらに、大きな違いをもたらしたのは、「洗濯できる蚊帳がほしい」という強い要望であった。

古来から平織りで作られた蚊帳は水洗いには弱い。そこで平織りではない蚊帳は作れないかと考えた。
念頭にあったのは、この磐田近郊で遠州別珍などの織物が盛んだったこと。中でも、静岡名産のシラス漁に用いられる網や、米の炊飯や蒸篭に使われるカラミ織の技法だった。

顧客の要望に応えなくては、生きていけない。役に立ってこそ生かされるの願いで何とか機屋(はたや)さんに納得してもらい、洗えるカラミ織の蚊帳を開発した。縫製技術と織物技術の統合であった。

もちろんどの世界でも競争がある。ムカデ用の六面体の蚊帳などと誰も相手にしないと思っていたらそうでもない。
相対評価の対象になるのであるからよりよいものをお客様の声を聞いて、絶えず勉強して、応え続けなければならない身の上だと、いい聞かせている。
これだと、また、単なる競争になってしまうが、もう一つ「大きなものの応援」というか、何か大切な精神的な基礎を固めたいと思ってきた。

この地方の磐田に住んで、ここからインターネットなどを活用して顧客の要望を聞く。

そして、 地元に蓄積された織物技術と縫製技術を活かして、また、全国に発信できるようになった。
営業的に言うと「頼むこれまでの営業から、頼まられる営業のスタイル」に変わってきたともいえよう。

片一方では、マラリアで困っているアフリカの人々にも安眠を与えることで、自らもよく眠れるようになる。
こんな風にして、地域力がアップして、世界中にも安眠が届けられるような仕事ができれば、「大いなるもの」はきっと応援をしてくれることであろう。

2009年外務省がJapan Video Topicsで、菊屋の蚊帳を採り上げ、7ヶ国語で「蚊帳で安眠』という3分21秒のビデオ作品を作成し、全世界へ配信してくれたのも、実に有難いことである。

また、ソーシャル・エコマガジンとして知られる雑誌ソトコトが2010年6月号で「60の誠実な会社」に選ばれて掲載されたことも、不思議な力の応援であったのだと思っている。

2005年7月、京都西川の故・谷邦夫元特別顧問のお力添えにより、開館した「蚊帳の博物館」も世界の平和と安眠のシンボルにもなっている。この蚊帳の博物館の館長として蚊帳の文化・歴史・効果・効用について、各地へ招かれては、お話をさせていただくようになった。

また、世界の平和と人類の幸せを安眠を目指した、菊紋和(きくもんなごみ)ブランドも誕生。さらに「ろあーす」という名前、ロハスとアースをくっつけて空間づくりを静岡デザイン専門学校さんのゼミ運営の中で展開された。

そして、ここに蚊帳の循環系が完成。私は下記の蚊帳循環の出来上がった2009年を「蚊帳元年」と一人で決めつけた。

すなわち、 命を守る蚊帳 → 脱・恐怖の蚊帳 → 避けの蚊帳 → 安心の蚊帳 → 安眠の蚊帳 → 癒しの蚊帳 → 祈りの蚊帳 → 究めの蚊帳 → 命を守る蚊帳 蚊帳の循環を通して 世界中が安眠できますように!  と、菊屋は蚊帳を通して  【平和→安心→安眠→祈り→世界平和】 の循環をめざそうと誓ったのでした。

<正しいこと その証拠>

「我が身が助かりたかったら、人に尽くせ」と教えられた人の生きる道は確かに正しい。
この16年余り、インターネットを導入し、いろいろな蚊帳を頼まれてつくっるようにったが、それが生業となって、今日もこうして結構な生活をさせていただいいるのだから正しいことだと確信できる。 頼むよりも頼まれる方がずっと楽である。

サムシンググレード、大いなるものは、より大きな世界の平和と人類のしあわせをお望みのようです。

そして、人間の手で破壊されている地球環境問題も大いなるものにとっては大きな悩み事だと思います。
地球交響曲=ガイアシンフォニーで母なる【地球の声が聞こえますか?】と問われていますが、大いなるものの大きな思し召しに副えれば、もっともっと多くの不思議をお見せいただけることだと思います。

眠らなければ、眠れない、眠りたいがやはり眠れない、何とか眠らねばともがいている現代人にも一旦、自分のことは棚に上げて、大いなるものと同じ思いで、「世界中の人々が平和で安眠できますように」と祈ることによってぐっすりと、良い眠りに導いてくれるものだと思います。

そのような天然自然の法則のようなものがあるのだろうと感じながら、 人々に、心も身体もやすまる「安心と安眠」をお届けすることを生業として、これからも進んで行きたいと思います。

自分が安眠できるようになるためには、世界中の人々が安眠できますようにと、祈ることが有効であろうとあんみんタオルをつくってみました。これで一人でも不眠が軽減されて、アフリカの子供たちが救われるといいと言う願いから。

ちいさな、自分の生業が、大いなるものの御心にそって、元気よく、喜んで働かせていただければきっと上手くいくのだろうと、その考え方が、正しいことだと思います。

2008年の第11回「まちかどのフィランソロピスト賞の受賞は、そのことが正しいことだとお認めいただき、 小さな自分の大きな望みである「世界中に安心と安眠を届けることができる蚊帳は日本をそして日本人をも救う」 が認められてたいへんうれしく思いました。

三島治

栄えあるまちかどのフィランソロピスト賞受賞に際して撮った写真 
平成20年11月12日 撮影

この年の受賞者は、成人の部で、競馬騎手の今野忠成氏と私。そして特別賞には当時阪神タイガースの赤星憲広氏と三人だった。歴代の受賞者の皆様と比べると、些細な私は本当に恥ずかしく思えたが、このちっぽけな私の受賞なればこそ、現在、希望を失いかけて、もがき苦しんでいる最中の人々に夢と希望と、そして安眠のきっかけが与えらるのではないかしら?と受賞の意味を考え直した。

ともあれ人々に役に立つ受賞であればたいへんうれしく思えばいい。と言い聞かせた。

翌・平成21年には磐田市出身で卓球日本代表の水谷隼選手、Jリーグのジュビロ黄金時代を築いた元サッカー日本代表の名波浩選手らとともに磐田市民賞まで頂戴した。

そんな、蚊帳を通しての安心・安眠の提供者として認めていただけるようになったのですが、この蚊帳の精神を基に、2009年(平成21年)9月に故・加藤勝也先輩のご指導を賜り「ねいるケアあんみん枕」を世に出させていただいた。

確かにふとん屋の倅(せがれ)だからかもしれませんが、自分の力ではない大きな力が、不思議なご縁が、私を導いていてくれるのに、感謝しています。

インターネットをいち早く導入でき、皆様のご要望にお応えする形で、オリジナルの蚊帳と枕が出来上がり、人々に安らぎと安眠をお届けできるようになったのは、先代・亡き父の志〜能力開発研究所の精神を引き継いだことにもなります。

平成22年度から、静岡大学人文学部経済学科の非常勤講師として【眠りの善し悪しが 人生のバロメーター】〜 寝ても覚めても Be Happy を目指し 〜 眠りを大切にした生き方 をテーマに講義をさせて頂くようになった。

これも、眠りを大切にしよう!と、働きかけることになるので、経済学科の学生さんたちへの講義内容を練るのはなかなか大変ですが、感謝してやらせていただこうと思っています。

日本睡眠学会でも眠れない原因の50%は身体的原因、35%は心理的原因、残りの15%は寝室の物理的環境と発表されている通り、心理カウンセラーとしての学びが必要だと感じていたところへ、幸運にも、平成22年度から心理療法について、日米韓脳活性化プロジェクト心理学部門主席研究員でありオーガナイザーをされカウンセラーのカウンセラーでもある池田誠二郎先生に師事させていたけた。(こちらは家内と二人、席を並べ、学ばせて頂きました。)

セレンディピティ(英語:serendipity)
何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。 平たく言えば、もがき苦しんでいる人が、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことを「セレンディピティ」と言うようですが、ノーベル賞受賞者も注目しているこの「セレンディビティ」は安眠を手に入れる能力でもあるのです。

池田先生からは団欒の大切さについて心理療法の視点から多くの教えをいただきました。
団欒、その基礎は夫婦愛和、家内と二人で力を合わせて人々に安眠をお伝えできるように頑張らせていただきたいと思います。
心理療法の課題として、●総合心理療法によるカウンセリング技術 ●精神心理検査技術 ●認知行動療法技術 ●社会性訓練技術 等がありましたが、3年間の心理療法士としての養成課程を修了し、平成25年2月14日に行われた試験の合格をもって、3月に卒業・終了証書を家内とともにいただきました。
心理療法卒業式 卒業式(H25.3.22) 写真の右は、心理療法研究所の所長・池田誠二郎先生
  三年間、家内と席を並べ、池田先生から、心理療法士としての様々な技術を学びながらも、一方では先生のクライアントとして、人生で出くわす問題事への対処の仕方、夫婦のあり方、団欒の構築の仕方など様々なお導きを頂戴しました。

「人生経験を積まなければ、カウンセリングはできないよ」と先生はいつも言われていましたが、人生経験とこの学びを血肉にして、人々が安心して安眠できるように「安眠提供企業」を目指し頑張ろうと、新たな旅立ちの日となりました。

ある程度の人生経験を積んでからの総合的な心理療法の学びは、睡眠改善技術向上にたいへん役立ち、認知行動療法をもとりいれた【安眠講座】クスリに頼らない安眠術枕つくりのワークショップ にも活かしている。心理療法ならびに睡眠改善技術の学びと実践を、カラミ織りにしながら、菊屋の蚊帳のように美しく、この人生を織り上げて参りたいと思います。

夫婦で

平成23年2月 写真家:山田真梨子さんの作品

小我から大我へ この道を歩ませていただかねば。

世界中が平和で安眠できますように!

毎年、3万人を超える自殺者、こんな悲しい事態を打開すべく、国を挙げて、自殺予防週間(9月10日〜16日) ・ 自殺対策強化月間(3月)を設けている。

また、自殺に至る 「自殺 ←  ウツ ← 不眠」 に対して 「眠りを大切に」と 国際的な「ワールド・スリープ・デー」にあわせて「睡眠の日」と定め、その睡眠の日をはさむ2週間が「睡眠健康週間」として制定され、各地で「睡眠キャンペーン」が展開されるようになった。 かくして、睡眠改善は社会的な重要課題となった。

しかし、このような「睡眠キャンペーン」はあまり上手くいっていない。病院と製薬会社が潤っているだけで、費用をかけた割には、自殺者は減少していない。安眠できないで苦しんでいる人は増えているのが現実だ。

生き方全体を見直す時が来たのであろう。

危機を回避できるか否かの岐路(カオス・ポイント)は2012年だといわれてきた。マヤ暦も2012年で終わっている。人類が目覚める時が来たのだろう。

そこで、2011年11月 映画「降りてゆく生き方」の上映会をした。

「この降りてゆく生き方」とは、人それぞれが、自分の個性・特技を活かしきって、我も人ものために、支え合って行く生き方です。

人間とその欲望がつくりだしてきた「マネー万能」の共同幻想と、マネーが極大化したグローバリズムの正体を見極めて、そこから脱し、私たちが生きてゆく上で本当に大事なものが何かに気付き、そして、昇ってゆく時代の終焉を迎えた現代日本人が、下っていく時代のための新しい生き方を発見してゆくこれからの生き方です。

お金に縛られることなく、個性を生かした楽しい仕事=自然、健康、安心・安眠と団らんを大切にして、新たな希望を人々が見いだせるように、安心・安眠のスリーピングネット、安らぎと癒しのヒーリングネット、世界の平和と人類の幸せを祈るプレイニングネットとしての菊屋のオリジナル蚊帳をを日本国内はもとより、海外にも送り届け続けるのが私の使命なのだと強く感じている。

そして、その蚊帳の精神でつくった、睡眠改善のためのロハスな枕=「ねいるケアあんみん枕」をベースとして、人々と眠りの大切さを分かち合いながら「あなたにぴったりの枕作りのワークショプ」、安眠講座=「クスリに頼らない安眠術」を力強く展開して参る所存です。

社会的な重要課題となった睡眠改善の道具とスキルを提供しながら、人それぞれが、自分の個性・特技を活かしきって、我も人ものために、支え合って、希望をもった毎日を生きていけるよう働きかけること。これが私の使命です。


治 還暦豆まき

平成28年2月3日 磐田市・府八幡宮で年男=還暦豆まきに参加


還暦を境に 人生の Bfore & After を描いてみました 。

人生のビフォー&アフター


どうか、みなまさのお役に立たせていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。  <合掌>


経営の旋回基軸


となりのトトロ
 
2005年 愛・地球博覧会の会場にて

『となりのトトロ』で蚊帳を吊った
さつきとメイの家をバックに

福島大学

2012年 福島大学・経済学部・跡地にて

震災後、ガンバレ福島!と創立90周年に出席
新たなつとめと、希望とを聞いてきた

バックは福島市のシンボル信夫山と福島県立美術館