第11回 まちかどのフィランソロピスト賞 受賞
2008年 平成20年12月1日 東京神田学士会館での授賞式
フィランソロピーはギリシャ語のフィラン(愛)とアンソロポス(人類)を語源とする合成語で直訳すると人類愛、慈善のことですが、日本では「社会貢献」の意味で使われています。
まちかどのフィランソロピスト賞
今野 忠成氏 (競馬騎手)
まちかどのフィランソロピスト賞
三島 治 (寝具店経営)
特別賞
赤星 憲広氏 (阪神タイガース選手)
青少年部門
戸津 亜里紗さん (専修大4年生)
フィランソロピスト賞 授賞スピーチ原稿
100年に一度と言われる経済危機の真最中に、田舎町のふとん屋の私が、この栄えある「まちかどのフィランソロピスト賞」をお受けするには、本当に身が引き締まる思いでありますが、ここに、謹んでお受けさせていただきます。眞にありがとうございます。
私は昭和31年、静岡県の磐田市で両親が寝具店=ふとん屋を営む家の長男として生まれました。
現在、52歳です。戦後の復興から成長期に入るところ、「蚊帳」もふとん屋にとって主力商品の一つでしたし、社会全体も「モノ」を求めている時代で、ふとんも、ふとん屋も社会的に必要とされた時代の中、すくすくと成長させていただきました。
ところが昭和53年に父が48歳で死去し、当時大学4年生であった私は、一旦は東京で働きましたが、お家再興を旗印に家業である寝具店を継ぐことになりました。
30年ほど前のことになります。そろそろ、ふとん屋の社会的な使命も終わりかけていた頃です。言い換えると、モノである寝具・ふとんを提供するだけの寝具店・ふとん屋は、世の中から必要とされなくなった頃、実際にふとんはふとん屋、おもちゃはおもちゃ屋、洋服は洋服屋ではなくなっていく頃、お肉も野菜も、なにもかもショッピングセンターで間に合うようになった頃、家業であり、生業であるふとん屋を継ぐようになりました。
役に立たせていただいてこそ、生かせていただける。
役に立たなくなったら、「お呼びでない、こりゃまた失礼」と、その場から退散しなければなりません。
絶対的に、一生懸命にがんばったとしても、相対評価です。変化していく社会環境の中で、ふとん屋として役に立つにはどうすればいいのだろうか?存続するのには、役に立つように自分を変えなければならない。と、言い聞かせて参りました。
世の中を見渡すと、眠れないで困っている人が多く見受けられるようになりました。
日本人の五人に一人は不眠症で、三人に一人はよく眠れない、そして二人に一人は眠りに不満を抱いている。といったデータもあります。
ならば人々に、良質の睡眠を提供することができれば、役に立つことができ るだろうと、あちらこちらへ出向いて、睡眠の勉強をさせていただき、それに見合った、枕やふとんの提供に努めるようにしました。モノよりも先に、より良い眠りを!と「安眠講座」なども開いて、より良い眠りを提供することを目標にがんばりました。
そして、12年前の1996年、父から受け継いだふとん屋を、より社会のお役に立たせようと、インターネット上に「安眠ドットコム」を取得して、眠りや寝具の疑問に応えられるホームページを開設したところ、枕やふとんだけでなく、店頭ではもう見られなくなった蚊帳の注文を受けるようになりました。なるほど殺虫剤やエアコンよりも安眠のために蚊帳が有効だということをお客様から教えられました。
かつて、日本の夏の風物詩だった蚊帳はすっかりと姿を消して、「蚊帳の外」と言う寂しい言葉だけが残ってしまったようで、虫を殺さずに身を守る、平和の象徴のような蚊帳、みんな仲良く安眠できる「蚊帳の中」を知っていただきたいと思いました。
同時に、日本ではこのように、心が癒されてぐっすりと眠ることができる蚊帳が、アフリカではマラリア対策として最も有効な道具だと知り、いつかアフリカに蚊帳を贈りたいと思うようになりました。
この蚊帳、英語で言うとモスキートネットとなりますが、このネットをインターネット上に吊るしたところ一年目に25張りの注文が、翌年には100張、そしてその翌年には300張と、自分でも驚くように売れるようになりました。こうして、こんなに簡単に蚊帳が売れ始めると、蚊帳でお役に立たなければ罰が当たるような気持ちになり、「蚊帳をアフリカへ贈ってください」とわずかな金額を、毎月、ユネスコに送り続けるようにしました。けれども、それは、まだ実際に蚊帳を贈る術ではなかったようです。
そんなある日、「ネットでネット=インターネットで蚊帳が蘇った」とか、「蚊帳の新しい使命」として、「蚊帳はアフリカのマラリア対策に最も重要な役割を担っている」という新聞記事を読んだとして、元々国連の職員でオランダ人でタイに蚊帳工場を立ち上げたマルセル・ダブルマンさんとの不思議なご縁をいただき、マラリア対策用の蚊帳をバンコク経由でアフリカに贈る術を見出すことが出来るようになりました。
そして、2004年の秋、もうすっかりと蚊帳の季節は終わった頃、長崎県の古田望美さんという若い女性から、蚊帳が欲しいと言う注文をいただきました。アフリカのカメルーンに助産師としてボランティアに行くことになり、ご自分用のマラリア対策用の蚊帳を購入したいとのことでした。
これで、アフリカへ蚊帳を贈りたいと言う思いが実現するぞ!との思いで、翌2005年、カメルーンの病院で、がんばっている古田さんへのエールを兼ねて、古田さんの勤務されるカメルーンの病院に、タイのバンコク経由で、蚊帳100張を贈らせていただきました。
その後、インドネシア・スマトラ沖で起きた大地震への緊急支援部隊員用に急遽、蚊帳の注文をいただきましたので、備蓄用としてどこでも簡単に設置できる京都西川さんの蚊帳500張りを日本赤十字社に寄贈させていただきました。
2007年、京都大学の芦田譲教授が理事長を勤められるNPO法人:環境・エネルギー・林業・農業ネットワーク(EEFA)のご一行が、マダガスカル支援のためマダガスカルに行かれました。その時、マダガスカルでの蚊帳の製造とその可能性も調べられたようですが、出発に先立って、マダガスカルのラヴァルマナナ大統領へのプレゼント用に「菊紋和(きくもんなごみ)蚊帳」をお求めいただきました。そのお礼にマダガスカルの病院に、マラリアから命を守るための蚊帳300張を寄贈させていただくことができました。
ところで、日本の蚊帳についても、昔ながらの蚊帳ではなく、家屋状況も変わってきましたので、ベッド用に立ったまま出入りができるベッド用の蚊帳が欲しい、また、洗える蚊帳が欲しいという、要望に応えるべく、従来の平織りの蚊帳ではなく、縦糸を絡ませながら横糸を固定させていくという、カラミ織を蚊帳に採用したり、時には、ムカデ対策用にと、底面も付いた六面体の蚊帳など、お客様からの依頼に応えさせていただき、生活ができるようになりました。頼み込む営業から頼まれることが多くなって、役に立ってこそ、生かせたいただけるものだと、自分の仕事、生業について考えさせていただきました。
また、眠りについても、同じように、眠れないで困っている人にも眠ろう、眠ろう、眠らなければと、もがくとますます眠れなくなりますから、自分のことは一旦、棚に上げて、世界中の人々が平和で安眠できるようにと祈ることが自然に、自分も眠りに導かれる術であると思ってきました。
眠るのではなく眠らされている存在、生きるのではなく生かされている存在だと、強く思うようになりました。
そのような天然自然の法則のようなものがあるのだろうと感じながらここまできましたが、これからも人々に、心も身体もやすまる「安眠」をお届けすることを生業として続けていく覚悟です。
今回の受賞は、そのことが正しいことだとお認めいただけたものと、 たいへんうれしく思っています。
私財を投げ打って社会貢献をされた歴代の受賞者の皆様と比べると、些細な私は本当に恥ずかしく思うのでありますけれど、 このちっぽけな私の受賞なればこそ、現在、この100年に一度の経済危機の中にあって、希望を失いかけて、もがき苦しんでいる最中の人々に夢と希望と、そして安眠のきっかけが与えられるのではないかしらと受賞の意味を考えております。
人々に役に立つ受賞であればたいへんうれしく思います。
まことにありがとうございました。
平成20年12月1日 三島 治
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広報いわた 掲載