おばちゃんへ

ありがとうございました!

おばちゃんへ

63年前、「三島屋ふとん店」を経営していたおじさんのもとへ、お嫁に来てくれたおばちゃん。  「三島屋のために」と、半ば強引に、国防婦人会の会長さんだった井口さんに口説かれて、お嫁に来てくれたおばちゃん

明るく、元気良く、歯切れのいい声でお客様に接してくれ、きれいな字を書き、会計事務所で鍛え上げた簿記能力も活かし、「三島屋」を支えてくれました。

 

あれは50数年前ですが、私の両親・・・父が白血病を患い、母が急性肺炎になって、二人がそれぞれ日赤病院、聖隷病院へと入院した時には、鎌田から昌君と忠君をつれて七軒町のお店に移り住んで、私と京子と茂の3人と一緒に育ててくれました。

 

母が亡くなり、新しいお母さんを迎えた50年前、お店が中町に移ってからも、よみがえって社長となった父のもと、「有限会社・三島屋ふとん店」に尽くしてくれました。

また、新しく迎えた母と、二人の妹にも「みっちゃん」「佳奈ちゃん」と分け隔てなく可愛がってくれました。

 

あの頃は「三島屋ふとん店」が、一番元気だったころで、島田にもお店を出し、おばちゃんもワゴン車に一杯の布団を載せて、一日に何度も磐田~島田間を往復をしてくれていましたね。

 

明るくいて、控えめで、自分を出さずに、お客様優先に丁寧に接してくれたおばちゃん、ありがとうございました。

 

昭和53年に父が亡くなり、義母が家を出ていくということを聞いた私が、我儘にも「お家再興」を振りかざし、家業を継ぐために、帰ってきた時も、やさしく迎えてくれただけでなく、何もわからない若造の私を立ててくれ、名前の変わった「菊屋」に尽くしてくれました。

 

お店のことばかりではなく、食事の世話まで、母親以上にかわいがってくれありがとうございました。

 

お店を引き継いだと同時に、多額の借金を背負い、マイナスからのスタートで、お店の経営は苦しく、お金も経営能力もなく、何度もこれはダメだ、倒産しそうになりました。

それでも、何とかしなくては、何とかしなくてはと、僕は無謀なチャレンジを何度も何度も、繰り返し、おばちゃんに心配をかけました。

豊田町に、化粧品と複合した資生堂のお店を出店したり、大きなやけども何回か繰り返しました。それでも、おばちゃんは何一つ文句を言わず、心身ともに尽くしてくれました。

あの頃は、ほとんどが手形での決済で、私の無心にも、僕を信じてくれ、潔く、応じてくれました。おばちゃん、ありがとうございます。

そんな、いい加減でだらしのない、私に、まぐれ当たりとでもいうように、30年前、やっと結婚相手が決まった時には、本当に喜んでくれたおばちゃん。 ありがとうございます。

 

マツイ洋服の松井さんご夫妻に仲人をお願いした結婚式では、おじちゃんといっしょに、父親・母親役を、亡き両親に代わって、しっかりとつとめてくれました。

苦しい経営は続いていましたが、そんな中でも歩、春奈、直也、和人と、次々と子供が生まれ、まるで内孫のようにかわいがってくれたおばちゃん、ありがとうございます。

 

忠君のところの茜ちゃん、梓ちゃん、洋介くん、梓ちゃんの四人の子供たちが、毎年夏と冬の二回、鎌田に里帰りに来るときも、一緒に泊まらせてもらい、8人の孫に囲まれ、本当に大変な、おもてなしでしたね。

子供たちにとっても、いい思い出として一生大切にしてくれると思います。

 

おかげで、四人とも立派に成人し、世の中で活躍できるようになりました。私にとっては母親以上、子供たちにとってはおばあちゃん以上の、愛情を注いでくれました。

 

仕事の方も、25年前にインターネットを使った、蚊帳の販売で、何とか軌道に乗ったかのように思いました。

全国からの蚊帳の注文電話に明るく元気よく対応してくれ、なにかの拍子で私が電話を代わると、「今の方は、お嬢さんですか?」と、言われたものでした。

 

あの頃は、電話対応から、蚊帳の荷造・発送、伝票・会計整理と、本当に忙しく、還暦を迎える頃のおばちゃんは、仕事と、子供たちの世話で、ぐぐ~んと若返ってくれた毎日でしたね。

 

田舎街の小売店の経営は何処も大変な時代、今度は家内の実家の応援を!と、私は「おもちゃのおわりや」を「蚊帳の博物館」として運用すると言った時、心の中では「そんな無謀なことをして!」と思っていたのでしょうに、何も言わずに、賛同してくれました。

 

商売はそんなに甘いものではありませんから、また、そこからたいへんな経営状態に陥りましたが……

 

それでも、おばちゃん。家内の実家の若い人たちも加わったのだからと、70歳になった時、第一線を退いていきました。

 

おばちゃん、50年もの長い間ありがとうございました。

あとはゆっくりと余生を楽しむといったところでしたね。

 

でも、そのころから身体に異変をおお越し、病院通いが続いてしまいまいた。

 

僕も、同じように、身体が言うことをきかなくなり、運転も出来なくなって、おばちゃんのところにお見舞いにも行けなくなってしました。ごめんないさい。

 

その後も、いろいろとチャレンジしてきましたが、・・・・

コロナが始まった時、もうひと踏ん張りとチャレンジした時に、蚊帳生地を活かしたヘンプのマスクづくりが世の中の役に立ち、九死に一生を得たかのように、もう一度。お店に復活の兆しがみえました。

あの時も、おばちゃんが入院していた磐田病院にそのマスクをもっていったとき。おばちゃん。「すごい!すごい!」と、大変喜んでくれました。

ありがとうございます。

 

コロナ渦にあって、今年は三島屋ふとん店からの創業70周年を迎えることがでました。

会社になってから、第50期の決算をこの6月に〆ました。

 

多額の借金は変わりませんが、僕が菊屋を引き継いでから、はじめての法人所得税をたくさん納めることができした。そして、おじさんを菊屋の連帯保証人から外すことが出来ました。

 

父の40年祭を4年前、母の50年祭を昨年執り行いました。

商売が、苦しい中でも、父母をはじめ、おばあちゃんが、しっかりとあの世から見守ってくれています。

 

キット、おばちゃんもあっちの世界に着いて、おばちゃんにとって義母のおばあちゃん、義兄の父・昇さん、義姉の母・泰子さんからも、

しづ子、よくやってくれたね。ありがとう!ありとう!」って、一杯、一杯、褒められていることでしょう。

 

そして、今度は、あっちの世界の、偉大な応援団になって、三島屋の100年に向けて、応援してくれると信じています。

 

僕はたいへん幸せ者です。おばちゃんがいてくれて、とても心強く思っています。

 

三島屋・菊屋の中に人生をおいてくれたおばちゃん・ありがとうございます。

 

これからも、ニコニコと、あの世から私たちを、見守ってください。

 

何度言っても、言い尽くせない「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。

おばちゃん ありがとうございました

 

  令和3年9月24日 

有限会社菊屋 代表取締役 三島治

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