第二幕(補)結婚の秘訣

若者たちへ 結婚の秘訣

現代を生きる少年・青年には通るべき関所が三つあると思っている。

受験・就職・結婚である。

それぞれの関所はある人にとっては無味乾燥、何の意味もないものであるかもしれないが、自意識過剰の青年にとっては大難関であり、それぞれ上手く行くか行かないかによって今後の人生を変えてしまうものだと思い込んでしまう大難関となることが多い。

私の場合の高校受験は前者であったが、大学受験は大きな試練であり、そこで人としての在り方を学ばせてもらうことができたと感謝している。

また就職に関しては、ちょうど父が亡くなった日が会社解禁日であったため、就職活動の意味合いはまた格別の記念日として、内定をいただきお世話になりながらも辞表を出した会社への感謝の念は今も持っている。

さて、もう一つの難関。結婚だが、その頃、農家と商売屋には嫁のきてがないといわれていたが、私は運よく結婚することができた。

商売をしていくには絶対に嫁が必要だと思い込んでいた。義母が家を出て行ってから叔母が母親代わりに私の面倒をしっかりみてくれていた。 叔母に楽をしてもらうにも、商売繁盛を目指すにも絶対に嫁が必要だと思い込んでいた。<※2021年9月22日に他界した叔母には心から「ありがとうございます」です。>

恥ずかしい話だが、結婚までに十九回のプロポーズをした。

そうです十九人目が家内である。

幸いにも三四歳のとき、縁あって隣の隣の隣のまたその隣のおもちゃ屋の娘だった今の家内と結ばれた。

情けは人の為ならず

 

ある秋の日、そろそろ店を閉めようかと思っていた時、背の高い真っ黒の黒人が店に入ってきた。

よほど暇を持て余していたのであろう、田舎町の商店街を覗きまわっていることだろうとすぐ分かった。絶対にふとんを買うために店に入ったわけではないことがすぐにわかったのだ。

他の店ではどのような対応が出たのであろうかと考えながら、他の商店で英語が話せる店主はと思いを巡らせたが誰も思い浮かばなかったので、これは我が商店街の為にも寂しい思いをさせてはならぬと話しかけた。

毛布や羽毛ふとんの説明を一通りしたが、もちろん相手はそんなことには何の関心ももっていないのは分かっていた。

ただ、ふとん屋の主人として当たり前のことだけはしなければエチケットに反すると思ったのである。

一通りの商品説明を終わったころその黒人は「私は今、この町のこのホテルに滞在している」「今度の火曜日の午後二時にはホテルにいるから何かお土産を持って私を訪ねてくれないか」と私に告げた。

身体つきもしっかりしているし決して悪い人間だとは思わなかったが、こちらとしては商品説明をするだけでも十分に礼を尽くしたつもりでいたが、それに対して日時を決めて、さらにお土産持参で来いとはどういうつもりだろうかとあっけにとられた。

もちろん事を荒立てるつもりはないのでオッケーと答えてその黒人を送り出した。

その火曜日が来たのだが、ちょうどその日は仕立て上げたふとんの配達がたくさんあった。

店のワゴン車いっぱいにふとんを積み込み、お土産の品としてはその年の剣道の市民大会の参加賞であった「文武両道」の手ぬぐいと扇子をもって、この町では一番格式の高いとされていたその黒人の滞在していたホテルを訪れた。

部屋に入ると、殺風景でテーブルの上に英字新聞があるだけであった。私が何度読んだかと尋ねると、「スリータイムズ」との返事があったので、よし解った今から私の手伝いをするために外へ出ようと、その黒人をワゴン車の助手席に乗せて注文されたふとんの配達に向かうことにした。

配達先にはアパートの三階などもあり、人手が欲しいところに力持ちの黒人はたいへん頼もしく、わたしは助かった。

ふとんの配達を終え、ホテルに戻るとまたその黒人は暇になるのだ。その夜、私には出席しなければならない会合があり、相手になれない状況であった。

ふとんの配達を手伝ってもらったお礼もしたかったので、ちょうどその頃、興味を持っていたビデオ「コクーン」と「ET」を彼に渡した。 1982年のスティーヴン・スピルバーグ監督の小さな宇宙人E.T.の物語「E.T.」と1985年のSFファンタジー映画で、アンタレス星から来た平和的な宇宙人の物語「コクーン」とを渡した。

両方とも英語版であるから、退屈させないですむと思ったからである。

ところが、当時そのホテルの彼の部屋にはビデオデッキが設置されていなかったのであった。 商店街と言うのは頼もしい仲間がいる。

電気屋の仲間にそのホテルの〇〇号室にビデオデッキの設置を依頼して私はその夜の会合に出席するとにした。

その黒人の名前はフーブラ・ダックというアメリカで会社を経営してこの磐田にはヤマハ発動機(運輸関係の製造メーカー)の船外機の買い付けに来たということがふとんの配達の途中の車中の会話で分かった。

その会社の役員さんたちの数人、とはいってもその役員さんではなく、ふとんを購入してくれる奥方様を通して紹介したりして、ダックの役に立てればいいと感じたのであった。

その後もダックはこの町にしばらく滞在した。

今と違って、インターネットもない時だから、交渉の仕事時間以外は暇を持て余していた。

そこで、ふとんの配達から二日後の夜に、私が感じとったことを実践に移してみた。

ダックを連れてその会社の役員さんのお宅にお邪魔した。奥方様は美味しい紅茶と、素敵ピアノを奏でながらご主人とダックと私をもてなしてくれた。

ダックにとって、ビジネス一辺倒のこの町に滞在している間に、日本の家庭的な雰囲気を味わえさせることができて私はとても嬉しかった。

それからしばらくした水曜日。

私の店は定休日で、時間が空いたのでダックを連れてドライブに出かけようとした。その時のこと、今の私の家内が目の前に現れた。

別段、不思議なことは何もない。

彼女は同じ商店街の5件ほど隣のおもちゃ屋の娘である。
会社勤めをしているがたまたまその日は休みで、私は車の窓越に声を掛けた。「英語は得意ですか?話せますか?」と。

英語は得意と言った気の利いた返事はもらえなかったが、男二人でドライブに行くよりも女性がいた方がいいのだろうと、彼女を乗せて、ダックと三人で浜名湖一周のドライブに出かけた。

彼女(今の私の家内になるのだが)は私と同級生で保育園も小学校も同じであった。

彼女はクラス委員などを務め、男の子に対しても指導的な立場をとっていて幼き頃のいたずら小僧の私にとっては苦手な存在であった。

幸いにして、一緒のクラスになったことがなかったので、小学校での思い出もほとんどない。裕福なおもちゃやの娘である彼女は、中学から隣町のお嬢様のいく中学・高校に進んだため、ほとんど接触がなかった。幼き頃から高嶺の花の存在であった。

さて、三人で楽しくドライブを終えてから三日ほど経過した夕刻、ダックから電話が入った。

ビックニュースがあるから、彼女を連れて直ぐに来いと言う。

またもや一方的な言い分であったが、ちょうど彼女も時間が空いていたので二人でダックの滞在するホテルに向かった。

どんなビックニュースかと尋ねると、ダックは「日本人五人がすべて、私の申し出にオッケーした」という。

「これは、三島よ、お前のおかげだ」と加えた。

私に対して「ナイスガイ」を連発した後、「お前たち二人は結婚せよ」と命令した。

私はあっけにとられた。

確かに彼の仕事がスムーズにいったのは交渉相手の会社の役員さんの口利きもあったのかもしれないが、それがまた、突拍子もなく私と家内とを結婚までに飛躍させたのかわからない。

「彼女は私の同級生で昔から知ってはいるが、彼女にはもっとふさわしい男性がいるはずであろうし、それはまずい。」と伝えると

「ノープロブレム、ドントウォーリー」、「案ずるな、何の問題もない。私は、世界のどこにいようともお前たち二人を祝福するためにこの磐田に戻ってくる」「三島よ、お前はナイスガイだ」と連呼した。

そんなことがあってから、彼女と私は急接近して、私の19回目のプロポーズは功を奏し、めでたく結婚にたどり着いたのだ。

めでたいのは、結婚願望の塊であった私だけかもしれない。

私と一緒になることによって家内にはずいぶんと苦労を掛けてしまっている。 しかし、かくして三大関所である結婚をクリアしたのである。

念ずれば花開く

こんな借金を抱えた斜陽産業の最たるものである小売業者で、ちょっと普通の人とは違う身体的ハンデを背負った私でも結婚がでるのだと、今の若者たちにも伝えたい。

念じ続ければ夢はかなうものである。

念ずることの大切さ、また「情けは人の為ならず」の理もこの事例がしっかりと物語っている。

どんな現象が目の前に展開されようが「念ずれば花開く」ものだと勇気づけられた。 それにしてもあの大きな黒人・フーブラダックが愛のキューピットであったことには間違いない。

これが私が、人生の関所で学んだことであった。

あまりにも嬉しかったので、婚約記念セールを行い、多くのお客様からの、取引先のメーカー、問屋さんからもたくさんのご祝儀をいただきました。

ありがたいことです。

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