蚊帳(かや)ネットで蘇る

インターネットで蚊帳が蘇った

日経流通 風を読む

インターネットで蚊帳が蘇った経緯について、日経流通新聞(日経MJ) 2003年7月26日の日経流通新聞のトップ面「風をよむ」で紹介されました。

寝具店「菊屋」代表取締役 三島治

寝具店「菊屋」代表取締役 三島治

静岡県磐田市にある寝具店「菊屋」の主人、三島治(47)。インターネットと出合い、寝具販売サイト「安眠コム」(anmin.com)を立ち上げ、客の要望に直接触れてオリジナル商品で応える。そんな主人の姿勢に多くの消費者が共感。日本人が忘れかけていた夏の風物詩、蚊帳が蘇えろうとしている。「日本経済の蚊帳の外」と自らを揶揄してきた三島はいま、その体験を生かして、ネットビジネスを模索する人たちの道先案内人になろうとしている。

午前4時。三島の1日は店頭に置いたデスクトップパソコンの電源を入れることから始まる。店のシャッターを開ける午前9時まで、ひたすらパソコンと向き合う三島は毎日、数十通は届く顧客からのメールに目を通し、発注や問い合わせなど内容に応じ丁寧な返事を一通ずつ書く。それが終われば、安眠コムの内容を更新、週一回発行するメールマガジン「あなたにやさしい快眠情報」の原稿も執筆する。
 三島が安眠コムを開設したのは1996年5月22日。40歳の誕生日を迎えた日だ。当時、三島は「ふとんを肩に担いで一軒ずつ家を回って頭を下げて注文を取る」毎日だったが、その日以来、営業の現場はコンピューターに代わった。

まちのふとん屋からネットの世界へ

菊屋三島屋ふとん店戦後

 78年10月、福島大学の4年生だった三島は父を亡くした。一年後、三島は菊屋の二代目主人となった。父は晩年、「健全な精神は健全な眠りに宿る」という理念から、眠りを科学的に研究することを目的とする「能力開発研究所」を開設、独自にふとんの開発に取り組んでいた。父の遺志は引き継ぐ決心をした三島だが、自身でふとんを打つ技術すらなかった。
 三島はメーカーが主催する研究会に足を運んだ。健康ふとんなど新製品も進んで扱った。それでも売り上げは「右肩下がり」。「寝具の販売ルートは多様化し、もはや町の寝具店の役割は終わったのでは」と感じるようになっていた。

そんな時、友人の中小企業診断士が中心になって立ち上げたホームページ「いわたネット」に仮想商店を出店しないかと誘われた。三島はすぐ参加を決意する。元来の新しい物好きに加え、大学卒業後に半年間だけ勤めた商事会社でコンピュータープログラムの開発を手掛けた経験もあった三島は「何か新しい道が開けるはず」との思いをインターネットに託した。

 1996年、いわたネットに安眠コムを開設、その年末には「anmin.com」のドメインを取得して、二つのサイトを相互にリンクさせながら、三島のインターネット事業はスタートした。

 三島は安眠コムの役割を「質のよい眠りを提供すること」と決め内容に知恵を絞った。最初に売り物にしようと考えたのは、客ひとりひとりに最適の枕を診断しようという企画「あなたの枕を捜します」だ。質問に答えていけば、体形などに適した枕にたどり着くという仕組みで、当時としてはまだ珍しくネットの双方向性を生かしていた。

 とはいえ、地方の寝具店が立ち上げた安眠コムに大きな注目が集まることはなかった。いわたネットに参加した他の商店のなかには、実績の上がらないネット販売を早々に見切る動きもあった。それでも三島の「インターネットで新しい世界を開く」という信念が揺らぐことはなかった。

 三島の信念を支えていたのは、一本の映画の上映会の成功だった。

 97年3月、三島は映画「地球交響曲・ガイアシンフォニー」(龍村仁監督)と出合う。地球との共生を描いた、この映画にほれ込んだ三島は地元の磐田市での上映会を思い立つ。そこでインターネットを介して、顔も知らないメール仲間たちに映画フィルムの供給会社や費用のことなどをあれこれと相談した。
 それからわずか二カ月。上映会は300人を超える観衆が集まるほどの盛況だった。この体験を通じ三島は「インターネットには、住む場所や、経歴は異なっても、同じ志向を持つ人を集める力がある」と確信した。

蚊帳(かや)ネットで蘇る

菊屋の蚊帳古民家にてベットに設置正方形

お客様の声で独自商品に

 上映会の成功と前後して、三島は安眠コムで蚊帳の販売を始めた。枕から敷きとん、掛けふとんと安眠コムでの取扱商品を広げるなか、三島はふと生活から消えつつある蚊帳が思い浮んだからだ。「蚊帳を使えば殺虫剤は使わなくていい。環境の時代といわれ、癒やしが求められる21世紀には、蚊帳は最適の商品」と三島は考えた。
 当初扱ったのは既製品だが販売するうち「生活様式の西洋化が進んでいるのに、蚊帳は相変わらず、畳の枚数で数えるサイズしかなかい」と気づく。そこで三島はベッドの大きさに合わせた蚊帳の開発をメーカーに直接依頼。こうして99年、最初のオリジナル商品ができあがった。
 麻100%、生成りのベッド用蚊帳というオリジナル商品を扱い始めた安眠コムは、物珍しさが口コミで広がり、話題になった。全国の消費者から蚊帳に対する要望も相次ぐようにもなった。「こうした声に応える蚊帳を作ろう」と三島はオリジナル商品の開発に本腰を入れ始める。

昭和の蚊帳からカラミ織の平成の蚊帳へ

 2000年にはムカデ対策のための蚊帳を商品化。2003年には漁網などに使われた「カラミ織」と呼ばれる、天然素材を用いた静岡県西部の伝統的な織り方を取り入れ、丸洗いできる麻100%の蚊帳用生地を開発した。設置用の留め金などを壁や天井に打ち付けられない賃貸に住む人向けに、地元の木材業者と組み、ヒノキの間伐材で突っ張り棒のような「蚊帳柱」も作った。

 こうした一般向けの商品に加え、業務用の商品の要望を受けることも増えてきた。飲食店のインテリア、キャンプ場の貸し出し用テント、ホテルの浄化槽を覆うネット……。特注品の受注も増加、蚊帳という看板商品を持った安眠コムの売上高は2001年、ついに菊屋の店頭販売の実績を上回った。

 安眠コムの2003年6月期の売上高は約3200万円。全売上高の三分の二を稼ぎ出すまでになった。2004年6月期は蚊帳の需要が最盛期となる立ち上がりの7月単月で安眠コムの売上高は1000万円を超える勢い。通期では5000万円を見込んでいる。オリジナルの蚊帳を手掛け始めた5年前に比べれば、店頭販売の実績は半減するものの、安眠コムはほぼ10倍に伸びる。

どうぞ蚊帳の中へ

どうぞ蚊帳の中へ 三島治著

 

 ようやく安眠コムが軌道に乗った今、三島は「真面目にやらなきゃ」という言葉をよく口にするようになった。厳しい営業活動に身を削る必要のなくなった今、以前の自分と同じような厳しい経営環境に置かれる商店主の支援に汗水を流すことにしたのだ。精力的に講演活動を行う三島は自身の成功体験を話すうえで、「顧客の声を聞き、顧客の役に立てるためにはどうするべきかを考えることが大切」と強調している。三島は今年5月、250号を超えたメールマガジンの原稿をまとめた「どうぞ蚊帳の中へ」と題する著書を出版した。蚊帳の復権を訴えたこの著書のタイトルを踏まえ、苦境の克服を目指す中小・零細の商店主に対し、講演の締めくくりでは「さあネットの中へ」と呼び掛ける。

 三島はその一方で、生まれ育った地元の商店街活性化にも骨を折る。開店休業が続いていた、いわたネットの活動を本格化するため、いわたネット事業協同組合を今年6月に発足させた。インターネットを通じて「いわたブランド」の商品を広くアピールする活動も始めている。
 菊屋の店頭に今並んでいる、蚊帳の生地で作ったのれんや、蚊帳の生地の傘を張った照明なども地元のファッションやデザインを学んでいる専門学校生が作ったもの。「インターネットを生かして、こうした商品をもっと広め、地元の活性化につなげていきたい」。風にそよぐ蚊帳とは裏腹に、三島の言葉は力強い。(敬称略)

 

   文 池光靖弘氏
   写真 尾城徹氏


当時の私は47歳、インターネットをはじめて7年目であった。

今は、高齢者の仲間入りとなり、おかげさまで4人の子供達は、蚊帳のおかげで成人しました。

この記事を書くのに何度もご来店いただいた日経新聞社の池光記者、そしてカメラマンの尾城さん、我が家の家宝、菊屋の財産となるような記事と写真、本当にありがとうございました。

ネットでネットが蘇る「菊屋」代表 三島治
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