蚊帳づくりで麻を知る

蚊帳屋だから分かる麻の不思議

伊勢神宮の蚊帳

伊勢神宮前の麻福さん撮影

いろいろ種類がある「麻の蚊帳」

1996年にホームページを立ち上げてから、お客様のご要望から蚊帳を取扱い、やがて「ネットの蚊帳屋」となった私(菊屋の三島治)です。

その蚊帳屋だからこそ、分かってきた「蚊帳と麻の不思議」についてご案内いたします。

先ずは蚊帳の種類から

蚊帳の織り方 平織

蚊帳は経(たて)糸と、緯(よこ)糸によって織られているのだが、蚊帳の種類としてはじめに出てくるのは、大陸から渡ってきたとされる「綿の蚊帳」だ。経糸も緯糸も綿100%の蚊帳がもっとも安価な蚊帳として、まず登場するのである。

昭和60年、日本蚊帳商工組合の事務局理事長を務めた京都西川(現・西川)の価格表では、「純綿」の蚊帳は四畳半用で22,000円となっている。続いて、経糸が綿で、緯糸に麻を混紡したものが出てくる。緯糸の混紡率は麻30%、レーヨン70%の比率で、蚊帳全体では麻の比率は15%ほどになる。この蚊帳を「片麻」の蚊帳と命名している。価格表では、純綿の蚊帳よりも5,000円ほど高く、四畳半用で27,500円である。

次に登場する蚊帳が、緯糸だけでなく経糸も麻の混紡糸をもちいたもの、蚊帳全体で麻が30%入っている。「両麻」の蚊帳であり、こちらは39,000円となっている。

そして最後に登場する蚊帳が、経も緯も麻100%の本糸を用いた「純麻」の蚊帳で、こちらは108,600円。この本糸でできた純麻の蚊帳は、純綿の蚊帳のなんと五倍もの価格で、一般庶民にとっては高嶺の花の高級品であった。

お情け程度に、緯糸だけにレーヨンに麻30%を紛れ込ませて混紡した「片麻」の蚊帳でも、涼感漂う「麻の蚊帳」として、まだそんなにエアコンが普及していない時代に、寝苦しい日本の夏を快適にした。
このように「麻の蚊帳」といっても緯糸に混紡糸を用いた「片麻」、経・緯共に混紡糸の「両麻」、さらには本糸の「純麻」といった具合に三種類の蚊帳が存在していたのである。

誇らしげに、「宅の蚊帳は麻の蚊帳」とご近所さんに話をする奥さんの姿を想像すると、昭和の日本の夏の風物詩であった蚊帳を中心に、ほのぼのとした社会の様子が目に浮かんでくる。

夜の虫よけ、蚊対策だけではなく、高温多湿で寝苦しい夏を少しでも快適にするため、段階的に麻の量を増やすことによって、より快適な生活を実現していくことができた時代とその背景がそこにあったようだ。

麻の蚊帳は価値の高いものであったわけだが、麻の量を増やしていったその頂に純麻の蚊帳が君臨するという構図であった。蒸し暑い夏の夜を快適に過ごすための麻の力は大きいのである。

遣唐使によって日本に渡った蚊帳ではあるが、麻を用いた蚊帳は、島国・日本のオリジナル蚊帳である。

申すまでもなく、麻素材の大きな特徴の一つは、きわめて優れた「クール素材」だということ。「夏は麻」と言われるように、夏用衣料素材として麻は高い評価を得ているから、麻織物の蚊帳もその麻の量が多ければ多いほどその価値は高かったのだ。

蚊帳の価格表 西川
昭和60年 蚊帳の価格表(京都西川)

蚊帳の糸である麻の特徴

熱伝導・放熱速度の速さ、
水蒸気透過の効率性、
換気・織物の張りの強さ、
通気性のよさ、
剛さ
汗の吸収と蒸発の速さ、
冷たさ・冷感、
消臭性、
抗菌性,

等があげられる。

純麻の蚊帳というからには、麻100なのだが、その本糸とよばれる麻の正体はというと苧(ちょ)麻(ま)・ラミーであった。これが戦後における日本の夏の風物詩であった麻を頂点とする蚊帳の主流であった。ここでは、あえて、戦後の蚊帳を「昭和の蚊帳」と記しておこう。私ども菊屋でもこの「昭和の蚊帳」を西川から仕入れて販売していました。

しかし、私が蚊帳屋になってしばらくたってから分かったのだが・・・・、実は、戦前の麻の蚊帳はラミーではなかった。戦後のものとは異なった別の麻でできていたのである。この蚊帳素材の変化は、敗戦によってアメリカの占領国となった日本の政治、経済、文化、そして日本人のアイデンティティの変貌ともいえるものである。

アースデー 愛・地球博へ

愛・地球博

蚊帳のリクエスト

20世紀最後の最先端技術であったインターネットの力で、時代遅れの蚊帳屋になった私は、古人の知恵に学び、蚊帳の素材として麻の分量を増やすことで、人々がより快適に安眠できることを知った。

そして、大陸から伝えられた蚊帳が、高温多湿な日本の気候に合うように進化していったのと同じように、麻の量を増やす蚊帳つくりに取り組んだのである。

20世紀から21世紀へ移り行く中、殺虫剤やエアコンを嫌い、自然な眠りを求める人たちのために考案した新しい「21世紀の蚊帳(=平成の蚊帳)」は、タテ糸を絡ませながら、ヨコ糸を固定させ、洗濯にも耐えることのできる「カラミ織」で織った。なんでも洗濯したくなる、きれい好きの現代人にあわせて織り上げた、古くて新しい蚊帳である。

この織り方は決して新しいものではなく、その昔は漁網や、蒸し布などに用いられたものであり、水にも強い織り方なのである。このカラミ織の糸にはたいていの場合、綿糸を使っていたのだが、安眠を保証する、グレードの高い蚊帳にするためには、その素材を麻にしなければならなかった。オリジナリティを出すための生みの苦しみもあったのだが、ここ遠州地方ならではのカラミ織を手掛ける幡屋さんの協力をえて、どこに出しても通用する立派な麻生地を織り上げることができた。

からみ織り平織り比較画像

らせん状になった立体構造のカラミ織は、丈夫で、航空力学上からも風通しが良いと評価を受けた(静岡大学との共同研究

より安眠できるものにするため、麻の分量を最大限にした麻100%の蚊帳の素材として、タテ糸にラミー(苧麻)、ヨコ糸にはリネン(亜麻)を採用した。

この純麻の蚊帳こそが、もっとも快適な安眠空間を構築できるものだと提案したのである。さらに、最上級の蚊帳として、蚊帳の縁から吊紐に至るまで、糸を用いる個所はすべて麻100%の極上仕立の蚊帳を世に出すまでに至った。

かくして、古くて新しい蚊帳を開発し、平成の蚊帳屋となった菊屋は、インターネット上でも、この洗濯も可能な平成の蚊帳を力いっぱいに販売した。

当時の菊屋は、ナイロンよりも、綿、綿よりも片麻、そして両麻、さらには本麻、といった具合に麻を追加すれば、蚊帳の価値はさらに上がると信じてやまなかった。

ところが、これぞ最高級の安眠空間を醸し出す蚊帳だと胸を張っていた私に、蚊帳の製造依頼があったのは、麻100%という表示の許されない「大麻」の蚊帳であった。

大麻(ヘンプ)の蚊帳は 戦前の蚊帳

麻の糸 ラミー・リネン・ヘンプ

麻といってもいろいろな種類がある。わが国では1万年以上も前の縄文時代から、人々に使われてきた麻だがその発掘の経緯についてはのちに触れることとして、昭和37年に制定された家庭用品品質表示法という法律で、「大麻」は「指定外繊維」となり、蚊帳の外に追い出されてしまったのである。

この家庭用品品質表示法が戦前からあったなら、大麻(ヘンプ)は苧麻(ラミー)よりも早く、縄文時代から愛用されていた立派な繊維なのだから、一番に麻100%の表示を許されたであろうに、現在、麻の表示を許されているのは20種類ほどある麻の中で、苧麻(ラミー)と亜麻(リネン)だけなのである。

戦後、アメリカGHQによる占領政策のもと、大(たい)麻(ま)取締法によって、栽培することはもちろん、所持していても罰せられることになった。いまも取締法が現存しているのに、なんとも恐ろしいことに、そんな大麻で蚊帳を作れという依頼がきたのである。それもアメリカで生まれた、アースデーというイベントへの出展依頼であった。指定外繊維の大麻を使ったヘンプの蚊帳を、2004年のアースデーに合わせて作るようにとのことである。

アースデーとは文字通り「地球の日」で、環境問題に取り組むために毎年、4月22日を「地球の日=アースデー」と定め、世界各地でさまざまなイベントが開催されている。NPO法人・ヘンプ普及協会から、日本では認められない指定外繊維である大麻(ヘンプ)の蚊帳を、アースデー東京2004の会場である代々木公園にぜひ吊りたいというのである。まさに蚊帳に連れられてアースデーに参加することになったわけだ。

さて、アースデーは、地球のために行動する日、人間が地球に感謝し、美しい地球を守る意識を共有する日とされている。1970年にG・ネルソン上院議員によって誕生したアースデーには、大人から子供まで、国境・民族・信条・政党・宗派を超えて多くの市民が参加し、現在世界184の国と地域の約5000箇所で行われている、世界最大の環境フェスティバルともいえるものである。

日本で最初の歩行者天国が銀座に誕生したのも、このアースデーがきっかけだったようだ。もっとも日本でスタートしたのは、1990年からということで、次第に地球を愛する輪が広がり、2001年の東京では、新たに実行委員長として小説家でナチュラリストのC・W・ニコル氏を迎え、代々木公園と明治神宮、新宿パークタワーを会場に、さまざまなイベントが催された。そして、その年は4月17、18、25日と代々木公園や明治神宮を中心に開催された。そんな風にして、地球環境に取り組む運動、アースデーの蚊帳の中へ、大麻・ヘンプの蚊帳をもって誘い込まれたのである。

もともと蚊帳そのものは、人にも地球にも虫たちにまでやさしいエコな道具である。また、いたずらに虫たちを殺すことなく身を守る、平和の象徴ともいえる安心と安眠の道具でもある。もっとも私が蚊帳を取り扱っていなかったら、アースデーや平和のためのイベントに積極的に参加することもなかったであろうが……。

さて、大麻(ヘンプ)の蚊帳をとの依頼に、二つ返事でなんとかしますと答えてしまった。麻の分量を最大限にした蚊帳の最高形態を完成したばかりであったので、有頂天になっていたのだ。失敗に失敗を重ね、たどり着いた麻の蚊帳のタテ糸のラミーをヘンプに替えれば簡単にできるだろうと安易に考え、やす請け合いをしたのが間違いであった。

しかし、タテ糸のヘンプは、織り上げていく過程ですぐに切れてしまう。
麻糸のラミーを制したのだから、ヘンプについてもうまくいくに違いないと判断したのだが、まったく想定外の出来事に戦た。

それでも時間とコストを費やして、なんとかアースデーに出展するだけの蚊帳生地を織り上げたのだが、その後の安定的な供給にはさらに時間がかかった。

今になってみると、これは私自身の穢れを祓う大麻だったと思い返している。

こうして2004年のアースデーで出来上がった大麻・ヘンプの蚊帳は、翌2005年、愛知で開催された愛・地球博にもお呼びがかかり、「温故知新 名古屋の暑い夏を涼しく過ごす!」というテーマのもと、蚊帳だけでなく、ヘンプのシーツ、布団などの寝具も紹介された。

蚊帳同様、般的な麻シーツには南米、東アジアなどの熱帯地域のラミー(苧麻)が使われているが、地球環境・自然環境をテーマとしたイベントでは、ヘンプがとり上げられるのだということを知った。

田舎町のふとん屋の実店舗ではほとんど販売されなくなってしまった蚊帳が、インターネット上でよみがえった時もそうだったが、上京して代々木公園でのアースデーに参加してみると、ヘンプの大好きな人たちがこれほど大勢いるのかと驚くことになる。

たしかにヘンプを好む人々の中には、一見して怪しそうな人もいる。

ヘンプ→大麻→マリファナ愛好家を匂わせる人たちだ。しかし、真摯に環境問題と取り組み、地球資源としてヘンプの特徴をよく知っていて、さらに日本の精神文化としての大麻を見直そうとしている人々にも大勢出会うことができた。

私が初めて、大麻の蚊帳をつくり上げてから10年が経過した2014年からは、NPO法人日本麻協会と麻地球日実行委員会による、ヘンプに特化したアースデーに参加するようになった。

この麻地球日(麻アースデー)は、バイオマスの象徴的作物である「麻」をもう一度見直すことによって、今を生きる日本人が、伝統文化・精神文化としての「麻」をもう一度思い出し、今、世界中に広がるこの自然の恵みとしての「麻」をいかにとらえ、未来へとつなぐためにどう生かすのかを考えるイベントとなっている。この先、人類はどこへ行くのだろうか、といったいよいよ切実さを増す大問題ともつながっていくテーマに違いない。

私は、睡眠環境の改善のためにできるだけたくさんの麻素材を用いた安眠空間としての蚊帳をつくっていたにすぎないのだが、アースデーという世界規模でのイベントに大麻の蚊帳をもって巻き込まれることで、あたかも睡眠という仮想の世界での蚊帳が、リアルな世界の問題、つまり地球環境問題と向き合うことになったのだった。

インド生まれの英国の思想家=サティシュ・クマールの言う「土と魂と社会」の三位一体、人と社会と地球のケア・サイクルとしての問題提起を、私もまた麻を通して考えさせられるのである。すなわち、大麻と環境問題、大麻と日本人のアイデンティティと魂という課題、そして大麻と社会性についてである。

菊屋3Sの図

エコロジカルなヘンプ

こうして、ネットの蚊帳屋として、地球環境を考えることの象徴として、大麻(ヘンプ)の蚊帳を作るようになったわけだが、さて、古くて新しい蚊帳をつくるようにと与えられた素材としての大麻・ヘンプとはいったい何であろうか?

 アースデーや愛・地球博へと私を牽引していったその蚊帳素材としての「大麻・ヘンプ」とはいったい何であろうか?

大麻(ヘンプ)について学ばねばならないところに立たされてしまったのだが、否、より大きな流れを前提にすれば、そのようなシナリオができていたのでもあろうが、どんどん場面展開がなされていくのを、私は半ば客観的に眺めて楽しんでいるところがあった。

ここはもう一歩踏み込んでみなければならない、ここにも自分の果たすべき役柄の一部があるのだろうとは感じながら……。

蚊帳の外から麻をみる

家庭用品品質表示法で「麻」として認められている苧麻(ラミー)も亜麻(リネン)も、それぞれ歴史ある素晴らしい特徴を持っている。

亜麻(リネン)は人類最古の繊維といわれ、紀元前800年に世界文明の発祥の地、チグリス・ユーフラテス川に芽生えたとされる。古代エジプトでは、リネン製のカラシリス(巻衣)が、「神に許された」ものとしての神官の衣服や神事に用いられ、一般の衣服にも使われていたことが、古い文献から明らかになっている。ピラミッドから発掘されたミイラを包んでいる布もリネンである。先史時代のスイスでは、湖上生活をしていた民族がリネンの衣料や船の帆やロープを作っていたという。それはそのままヨーロッパの文化に引き継がれ、長い歴史を築きあげ、悠久の伝統を誇っているのである。

なるほど亜麻(リネン)も神聖にして厳かな繊維といってよいであろう。

しかし、地球環境問題の視点に立つと、浮かび上がるのは大麻(ヘンプ)なのである。

ヘンプを資源としてみると、繊維からは衣類、縄、紐、紙ができ、繊維をとった後の麻幹(オガラ)からは建材、炭、プラスチック副原料、燃料、動物用敷藁ができ、種子からは食品、化粧品、塗料、潤滑油が、葉からは肥料、飼料を、花からは医薬品と、なんと25,000種類の生活用品ができる植物資源なのである。

ヘンプは、植物学的にはアサ科に属す一年草で、毎年再生産ができる持続可能な資源でもある。また、昔から百日草とも呼ばれ、3カ月で約3メートルにまで成長し、そしてその際、多量の二酸化炭素を消費する。二酸化炭素削減にも大いに貢献する、地球環境保護のために優等生のような存在なのだ。しかも、病害虫に強い作物だから栽培に当たり、殺虫剤、除草剤などの農薬は不要であり、痩せた土地や半乾燥地でも栽培可能で、その生態からしてオーガニックな植物ということになる。

ヘンプはさらに、技術が進めば石油に代わる植物由来の工業用基礎原料になることが予想されることから、石油メジャーなど現代の世界経済を牛耳る支配階層には、放置しておけないバイオエネルギー源ということになるであろう。

そんな素材だから、蚊帳そのものが地球にやさしい道具だというところにもってきて、素材としての大麻が参戦すれば、まさに鬼に金棒、そんなことからもヘンプの蚊帳はアースデーや愛・地球博のシンボルとなったのだろう。

麻の量を増やすことによって、より安眠できる環境が得られることは古人の知恵に習ってはいたが、麻の中でも大麻(ヘンプ)は、苧麻(ラミー)や亜麻(リネン)と比べ、さらに地球環境にやさしい植物であることも学んだ。

繊維全般を扱うふとん屋が、他をおいて大麻だけを良いとしてあげつらってはならないと思っていた。綿にしても絹にしても素晴らしい特徴を有しているのである。

例えば木綿は、衣料用繊維としては16世紀に渡来した植物繊維である。それまでは麻が繊維の中心だったのだが、麻に比べると格段に保温性が優れ、肌触りも柔らかく、繊維としての商品価値は高い。実際、私たちの着ている服の半分以上が木綿(コットン)だ。

コットン100%というと、いかにもナチュラルな感じがするのだが、そうとも言えない。その逆に、コットンを身につけているだけで、私たちは農家の人々の身体を蝕み、土壌汚染と水不足を招き、大地の荒廃という環境破壊に貢献している可能性がある。
普通の農産物ならば、口に入れるものなので身近な問題として関心に上りやすいが、衣服となると自分とは遠い、異なる世界の出来事として無関心なままであるとアースデーに参加して学んだことだ。

木綿の栽培は、全世界の農地面積のたったの2%を占めるにすぎないのに、殺虫剤、除草剤、土壌消毒剤などの農薬使用量の26%を占めているといわれている。収穫時には人工的に葉や茎を枯らさないと、葉の葉緑素がシミになってしまうので、コットン畑に枯葉剤を飛行機から空中散布する。また、かつて世界第四位の湖であったアラル海は、周辺のコットン栽培によって干上がってしまった。コットンは、成長時に大量の水と栄養分が必要となるからだという。

それに比べて大麻は、農薬を必要とせず、わずかの肥料でこと足り、雑草や害虫に強いため、コットンように環境破壊を招かない作物ということになる。根は、地中深く張って土地を柔らかく耕してくれるので、温帯だけでなく、亜寒帯、熱帯、半砂漠地帯など荒地でも生育でき、世界中どこにでも栽培できる。特にアパレル業界において大麻(ヘンプ)は、オーガニック・コットンと並ぶ天然素材として認知されている。

もっとも大麻(ヘンプ)は、あえて「オーガニック」といわなくても、はじめからオーガニックな素材だということなのだ。

さらに、麻繊維の構造やその成分から消臭性、抗菌性が高く、体の湿度を適度に保つ機能をもっている。高温多湿な日本において「大麻」は欠かせない繊維なのである。
アースデーに参加していた環境面を重視する人たちは、ヘンプとオーガニック・コットンを選んでいるのだが、そんな素材で蚊帳を作るようになっていた私もまた、改めて環境問題について学んだのである。

一般的な麻(ラミー、リネン)の蚊帳は夏だけの活躍になるが、ヘンプの蚊帳の愛用者の多くは、一年中蚊帳の中を満喫されている。

日本の原点を探る

伊勢神宮

麻と国家神道

指定外繊維とされ、蚊帳の外へ追い出された大麻だが、戦前までは、日本人の精神的な支えでもあった。戦前、大麻・ヘンプは天皇家の元である天照大神の化身とされていたため、日本人の精神的な骨格の一部ともなっていたのだ。

戦時中の国民学校の黒板の上には、大麻と呼ばれるお札が張られ、「天照大神」と書かれていた。必ず大麻を拝んでから授業が始まったという。しかし、その大麻は、敗戦によるアメリカの占領政策下で、栽培することも所持することもできなくなり、日本人を骨向きにしてしまったというのである。

2004年のアースデーは、日本が戦後60年を迎えようとする折り返し地点でもあったが、そんなタイミングで日本人の心のよりどころでもあった大麻の蚊帳の復活を依頼されたことで、私には襟を正す思いもあった。

ただ、大麻の使い方を間違えてはならない。もう二度とあのような戦争を起こしてはならない。私は、憲法九条の改正反対である。大麻の蚊帳の復活が、現行憲法の改正によって国民主権を廃棄したり、「敵基地攻撃能力」(反撃能力)を保有する軍事国家の道を歩んだ戦時体制を復活させることに、私は反対する。

日本の復活というだけで、なにやら右翼っぽい匂いがするが、そうではなく、日本人の相手を殺さずに身を守る知恵と、平和の象徴である蚊帳の精神とを再び呼び起こすこと、誰も排除することなく、平和で幸せな国づくりに向かうこと、それを願っているのである。そして、1万3000年ほども続いた縄文時代の人々の持続可能性を保証したもの、互いに助け合い、わかち合う精神に基づく、原始共同体的な社会づくりに、大麻の蚊帳が役立つことを切に望んでいるのである。
実際に、蚊帳そのものが殺虫剤などで「相手を殺さずに身を守る平和の象徴」でもある。

わが国の大麻の歴史は人類最古の繊維である亜麻(リネン)よりも古く、約一万年前の縄文時代の遺跡、福井県小浜市の鳥浜貝塚から、大麻の縄が出土している。そして縄文時代以降も、大麻は神社の鈴縄、注連縄、御幣、下駄の鼻緒、花火の火薬、凧糸、弓弦、相撲の化粧回し、漆喰原料の麻すさ、茅葺屋根材、麻織物、七味唐辛子の一味等々、今でも使われている伝統素材なのである。大麻は、日本人の生活とのなじみも深く、心のよりどころでもあり、生活基盤を支える植物として無視できない存在なのである。

それにしても、なぜ大麻だけがこのように日本人の心のよりどころ生活基盤としての素材として扱われるようになったのか。古くから日本に存在した苧麻でなくなぜ大麻なのか。その大麻の持つ不思議な力を考えてみることにしたい。

縄文時代の遺跡からは大麻の繊維片や種が出土している。そもそも「縄文」と命名されたのは、土器の表面に縄をころがしたり、圧しあてて文様を付けたことに由来している。その縄は、大麻をはじめとする植物の茎の繊維から作られた。縄文人たちは大麻や苧麻を活用していたのである。活用するのには、苧麻が多年生の植物なのに対して、大麻は一年生の植物のため、毎年種まきをする必要がある。そのための定め事や準備など、共同体の中での役割分担も必要だったであろう。

縄文時代には、糸、紐、縄を作る繊維は大麻だけでなく赤(あか)麻(そ)、苧(ちょ)麻(ま)(からむし)、科(しな)、楮(こうぞ)(紙麻)、楡(にれ)、藤(ふじ)、葛(くず)と樹皮から繊維が採れるという共通点を持った植物を、おそらくそのときどきで手に入るものならなんでも使ったのではないかと思う。

日本の麻という言葉がヘンプ(hemp)と異なる点は、ヘンプが大(たい)麻(ま)だけを指しているのに対し、麻は苧麻、黄(こう)麻(ま)、亜麻(あま)、洋(よう)麻(ま)(ケナフ)など、靱(じん)皮(ぴ)繊維の総称だという点にある。

こういう区分の仕方は、縄文時代までさかのぼれる植物文化だと思われる。というのも、野山の植物の分類は植物の外見、形状により共通するものをグループ分けする。ところが縄文人は、植物を用途によって分類し、茎から繊維が採れる植物は、みな麻と一括りにしたのではないかと思うのである。
とはいえ、それらの中で最も強靱な繊維は大麻だった。一説には現代の家庭菜園のような形で大麻の栽培も行われていたかもしれないともいわれている。

大麻とも付き合いながら、縄文時代の人々は自然の恵みを巧みに利用し、川や海、森、野原の資源から有用な食料や生活資材をたくみに獲得して、多用な生業を営んでいた。

また、縄文時代の遺跡には、集落の間での戦いの痕跡が見出せないといわれる。共同体の中でも外でも、「共存共栄」の関係が続いたとされている。稲作が始まる前の縄文人はみんなが仲良く助け合う、分かち合いの関係が形成されていたといわれるのだ。

縄文人は独自の祭祀を持ち、山や磐座で太陽や大地に祈る、自然崇拝の信仰形態を持っていたのではないだろうか。そして、自然の恵みと、洪水や火山噴火などの災厄も含めて、自分たちをその自然の中で生かされている存在だと信じ、畏れの感情を持って暮らしていたであろう。

数千年ほど続いたとされる縄文時代から弥生時代に時代は移り、やがて祈りの対象として大麻が加わっていくことになる。弥生時代から古墳時代へ、大陸との頻繁な人と物の交流の時代を経て、やがて邪馬台国の卑弥呼の登場となる。

邪馬台国はシャーマニズムを柱とした呪術国家であり、卑弥呼はシャーマン(巫女)であった。シャーマニズムとは、恍惚状態(トランス)になったシャーマンと呼ばれる「巫女」を媒体とし、霊界にいる神と交信することによる予言、託宣などのお告げをもって現世の悩みや病気の治療、さらには人々に幸福をもたらす支配と経営の方向性などを見出すといった原始宗教である。

チベット地方を源としたシャーマニズムは、中央アジア、中国、朝鮮半島をわたって日本にやってきた。今でも各地に残る巫女を媒体とするシャーマニズムの共通点の一つは、麻を神聖化していることにある。

巫女が舞うとき、麻の衣装を着用することが必須条件とされたし、さらには最も重要なこととして、今も密教で実習さらている護摩のように、「麻」を焚く儀礼があったということがある。恐らくこれは、大麻の葉や花穂に含まれる向精神性のテトラヒドロカンナビノール (THC) のマリファナ効果を醸し出すためであったろう。これによって巫女はトランス状態となり、呪力が高められると考えられていたようだ。

神の依代へンプ

通常このシャーマニズムは、大麻とともに「大麻・ロード」とも呼ばれる街道に沿って、世界各地に伝わったとされるのだが、当時の日本、つまり縄文時代以降の歴史を有する日本には、すでに大麻は存在していた。しかし、我が国に自生する大麻のTHCの含有率は0.08%から1.68%であり、薬用型大麻の基準であるTHC 2%以上という条件を満たさず、マリファナ効果があまりない品種であった。事実、日本にはマリファナ文化は存在していない。

これは私の想像の域を出ないが、邪馬台国は大和朝廷の母体であり、シャーマンの卑弥呼を祀り上げるために、その化身として大麻を活用したのではないだろうか。かくして大麻は神聖なものになっていったのだ、と。

紀元前300年ころから白鳳、飛鳥、そして奈良時代へと、おおよそ千年をかけて、紆余曲折を経ながら古代律令国家の樹立に向けて歩み続けることになる。邪馬台国の卑弥呼の登場から、壬申の乱に勝利した天武天皇によって、大化改新において構想された天皇制律令国家が樹立されるまでの間である。その間のことについて、『古事記』『日本書紀』は、天皇家の神として天照大神を祀り、その化身として伊勢神宮では大麻を祀るようになったと、私は考えている。

古代の信仰、心のよりどころの変貌

古代律令制の成立とともに、大和民族は伊勢に天照大御神を祀り、天皇をトップとする日本神道を確立して、日本全国にその支社・末社が造られた。

それまでは太陽や月、大地や岩などを神とみたてて祈り、神の声を聴く呪術を磨き上げたものと思われる。そこでは、呪力を高めるために大麻が使われ、やがて大麻は神道の「めどう」ともなったのではないか。

大麻の持つ不思議な力は長い歴史の中で、人々の間に魔力性、呪術性、さらには神秘性、神聖性を喚起するものとして、自然宗教と絡むようになり、ある種の象徴的な信仰まで醸成したといえよう。そこに大麻が天照大神の化身とまで崇められるようになった背景があると思われる。

この辺りから転調して、改めて、おおあさの神秘性について考えてみよう。なぜ大麻には不思議な力、呪術性、神聖さがあると崇められたのかについてである。それにはまず、おおあさの持っている次のような三つの属性があげられる。

おお麻・ヘンプの神聖な3つの理由

まっすぐ伸びる大麻

一つ目は、「麻中之蓬(まちゅうのよもぎ)」である。
まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすい蓬も影響を受けてまっすぐに伸びることから、良い環境の中では悪しきものも正されるということを指しているが、この短期間でまっすぐに成長する麻の成長力の強さ、そして周囲におよぼす強い影響力は、信仰の対象に値するであろう。

二つ目は、大麻繊維そのものの強さである。
引張強度では綿や絹の二倍、羊毛の三倍の強さがあるのだが、さらに海水につけても切れにくいという耐水性ももっている。そして繊維を撚(よ)ること、そして編むこと、結ぶことといった技術で変幻自在の強さを発揮するという点も、神秘性に値する。

そして、結びの三つ目は、やはり大麻の持つ覚醒作用である。
国産大麻のテトラヒドロカンナビノール (THC)の量は少ないにせよ、意識を変える作用、向神経作用はある。この力が神秘性を言うに値する。

しかも、国づくりを始めた初代女王がこの大麻の呪術性を使って、人々の幸せを願い、政(まつりごと)をしていたとあれば、大麻がそのまま信仰の対象となったとも考えられよう。神道の本家本元が大麻と考えても許されるだろうから、大麻は神社神道での神事には欠かせない植物といえる。現在大麻は、年間800万体以上配布されている伊勢神宮の神札に神宮大麻として使われている。

神社神道で用いられる麻とは、大麻草の茎から表皮を剥いで、熟練の技術で研ぎ澄ました黄金色の「精麻」のことを指す。精麻は古より、「海水でも祓いきれない穢れを祓う」特別な祓い清めの道具として、神と人間とを取り結ぶ場面に必ず使われてきた。

例えば、注連(しめ)縄(なわ)はご神域と現世とを隔てる境界線となるのだが、この素材も大麻である。

ヘンプの注連縄

また、神社のお賽銭箱の前にある鈴のついた縄、鈴(すず)緒(お)も大麻でできている。そのほか、神主がお祓いで使う白いハタキのような道具は「大麻(おおぬさ)」と呼ばれ、和紙と大麻でできている。

このようにして穢れを祓い、聖なる領域を作る植物としての大麻は、弓道の弦の糸にも使われている。弓に矢をつがえずに弦を引き、音を鳴らすことによって、魔気・邪気を祓う儀式として、鳴弦(めいげん)の儀(ぎ)という退魔儀礼がある。麻製の弦の響きにより魔気・邪気を祓うとされているのである。

さらに、大相撲の横綱は野州麻を撚って作られており、単なる飾りではなく、注連縄としての意味があり、また強さの象徴ともなっている。

さて、大麻がそれほど神聖なものであるなら、大麻でできた蚊帳空間は、まさしく聖なる空間ということになる。奈良時代初期に編纂された『播磨風土記』には飾磨郡加野里の地名の由来について、「加野と称するは,応神天皇の巡行の時,ここに御殿を造り,蚊屋を張った故に加野と名づけた」と書かれている。また『日本書紀』にも,応神天皇の時代、「呉から蚊屋(かやの)衣縫(きぬぬい)という女性技術者が渡来した記録がある」とのことで、応神天皇も蚊帳と深い関係がありそうだ。応神天皇は、御陵で有名な仁徳天皇の一つ前の天皇である。

天照大神の化身を大麻として祀り上げ、応神天皇が蚊帳の帳の中で自らを守ったり、人々の幸せを祈ったりする場所として政をとりはからう、日本には独自の大麻の帳があったのではないかと、私は想像を逞しくするのである。

みんなが幸せになるようにといった祈りの植物としての大麻、これは我が国のみならず、アメリカにおいても、似た事例がみられる。独立宣言文の文書は大麻の紙に書かれているのである。

ジョージ・ワシントンは、麻栽培者であり、アメリカの独立と麻は深い関係にあった。当時、アメリカは紙の原料をイギリス産パルプに依存していたのだが、このために危機感をもったベンジャミン・フランクリンは、イギリス産パルプの代わりに麻を使用することを思い立つ。そこで、自らの工場で麻の紙を造ったという経緯があり、アメリカの独立宣言は麻の紙に書かれたと言われているのである。

政治と大麻との関係もチラホラ見うけられるのだが、日本の天皇と大麻との関係は、神懸かり的な力も加わって、さらにホットな関係にある。

平成から令和に麻でつながる

天皇が交代すると年号が変わるが、皇太子が天皇として即位する時に行われる「大嘗祭(だいじょうさい)」において、もっとも重要な「麁服(あたらえ)」という巻物のように長い一枚の大麻の織物が祀られる。

大麻の麁服は、どこの地方の誰が作ったものでもよいわけではなく、朝廷が指定するのは、必ず徳島の三木家が作った大麻の麁服である必要があり、正式には「阿波(あわ)忌(いん)部(べ)族(ぞく)」の麁服でなければならない。阿波忌部族とは、大和朝廷建国にも関わった古い氏族であり、農業を中心とした産業技術を持つ職人を引き連れた集団で、日本全国に散って大麻を普及させたことでも知られている。

こうして大麻は、神と、政治・経済と、人々の幸せに大きな力を持つ植物であるとともに、それにともなう責任ある存在だともいえよう。今を生きるわれわれも、もっと大麻を理解し、大切にしなければならないと思うのである。

このように麻・ヘンプについての想いを巡らすことができたのは、菊屋が安眠を追求し続け蚊帳屋となったからであった。そして菊屋は令和の蚊帳として、ヘンプの蚊帳の提供ができるようになったのである。

健やかな眠りと 安らかな眠り

大麻は、まっすぐと力強く成長する聖なる植物で、穢れを祓う力を持ち、神社では神と現世とを隔てる注連縄としても活用されていた。

それでは、その大麻で作った蚊帳には、いったいどんな意味が隠されているのだろか?

麻の分量を増やせば増やすほど、快適な安眠空間ができることはすでにご案内した。麻を苧麻(ラミー)ではなく、大麻(ヘンプ)にしたらどのような効果が期待できるであろうか?

大麻(ヘンプ)で区切った聖なる領域が、現世と仕切られるべき神の国を構築することになるのではなかろうか。そんなことを考えていたらリクエストがやってきた。

棺を製造している会社にウィルライフ株式会社ある。棺は棺でも、地球にやさしい、木材ではなく段ボールでできたお棺(=エコフィン)を製造販売している会社だ。このお棺はロハス大賞にも選ばれてもいて、蚊帳とは相性がいい。私は社長を務める方と何度かご一緒させていただいたが、数年前、彼から「棺の周りの覆いを大麻の蚊帳で」との依頼を受け、またしても蚊帳に連れられるように、生きている間の入棺体験会を行った。

生きているときに環境に配慮しエコロジーな生活や自然保護などへの意識の高い方々の中に、森林保護の観点や焼却した時の有害物質のことなどを考慮して、地球にやさしいお棺=エコフィンを選ばれる人が増えているようだ。そのお棺を、麻で覆った空間を作る。ここでの麻は、穢(けがれ)を払う大麻をと所望された。現世での穢れを祓い、麻でできた聖なる麻空間に、さらにあの世に旅立つ地球にやさしいお棺を。この組み合わせも興味深い。

人は毎日、毎夜、健やかな眠りを繰り返し、やがて、「安らかな眠り」「永久の眠り」に辿り着くのだが、「眠る」ことと「死する」こととを、どのように位置づけるか?

夢と現実、健やかな眠りと安らかな眠り、まさに生と死の境界を、「大麻の蚊帳」をもって形成するのである。

ヘンプの蚊帳と棺

生前の入棺体験をすることで、「命を知る」と同時に「眠りを知る」ことにつながるのではないかと考えご一緒した。

眠ることは子入ること 子に入ること

かつて寝ること、寝入ることは子(ね)入ることであり、子(ね)の方角、すなわち十二支でいう「北」の方角に入ることとされていた。この北にある「子の国」とは「神の国」であり、なるほど神社仏閣は北向きで、お賽銭も北に向かって投げるではないか。亡くなった方も北枕に置かれ、神の国に帰るとされていた。北枕を忌み嫌う方も多いようだが、北枕はぐっすり眠れるという。ある機会に風水の先生に尋ねてみると、「亡くなった方を北枕に寝かせるほど、北枕は神聖なものです」と薦められた。

入館体験は、生きている意味を知るためにも価値あるものだが、何も棺桶に入らなくても、毎日の眠りの空間をヘンプの蚊帳でくくってみてはどうだろう。

神が降りるところを聖なる場所として区切るように、私たち(の魂)があの世(神の国)へ旅発つ場所にも、自分たちが自然と接する聖なる領域=寝室に注連縄を張るように、蚊帳を吊ってみることをお勧めしたい。

もちろん、蚊よけの夏だけの蚊帳でなく、一年を通して今日一日の穢れを祓う、魂の浄化の空間としての蚊帳を。

これが古くて新しい、「眠りの型」となる予感がした。「世界中が平和で、みんな、安心して安眠できますように!」

また、聖なる儀礼から発祥したと思われる芸能の中で、透け感のあるカラミ織で織り上げた大麻の蚊帳生地はこんな風にも使われている。

聖なる麻布は神の依代

倭会様からのお便り

舞のお衣装の麻布をお分けいただいております、倭(やまと)巫女(みこ)舞(まい)の倭瑠七と申します。

倭巫女舞はおよそ1300年の歴史があり、先人たちは舞う時に麻布で作られた衣装を着て舞ってまいりました。

しかし近年は入手が大変困難なため、いたし方なくシルクなど他の布の衣装で舞っていました。

この度、麻布との御縁をいただきまして、麻の衣装を身に纏い、先人と同様の舞が舞えますこと、心より感謝いたしております。

麻は皆様もご存じのように古来より神社で使われ、大変神聖な植物として崇められてまいりました。
また、雑草の中にあっても強く天に向かって真っ直ぐに育ち伸びる様はどんな困難にも立ち向かっていける、人の役に立つ立派な人になれることど、私たちの願いや思いをかなえる要素も持っています。

実際に身に纏いますと言葉には表せない不思議な感覚があります。

古代の巫女(みこ)舞(まい)の振りにありますところの、天のエネルギーを直接受け取れる感覚とでも言いましょうか? そしてそのエネルギーを地上に流す感覚も実感でき、舞の要でありますところの天地統合の軸を作る所作が楽にできます
なんとも不思議なのですが……やはり麻の持つ特殊なエネルギーなのでしょうか。
実際に身につけてはじめて、古代の人々が麻を珍重する意味がわかりました。

ありがとうございました。

麻を知ることは 日本を知ること

映画「麻てらす」英語版

1996年にホームページを立ち上げ、より良い眠りを追及していく中で、私は「ネットの蚊帳屋」となり、「蚊帳と麻の不思議」について、学ぶようになった。

そして、私の本来の役割、使命だと言い聞かせてきた「人々に健康で快適な眠り、安眠を提供する」ために、この蚊帳で培い、手にした麻・ヘンプを蚊帳だけでなく、より広範な安眠素材として活用すべきだと思った。

あちらこちらにぶつかりながらも「より良い眠り、安眠を追及した蚊帳づくり」を進めて「麻・ヘンプの蚊帳」にたどり着いた私は、麻と蚊帳に導かれ、不思議なご縁をいただくようになっていった。
その一人が映画「麻てらす」を制作した吉岡敏朗監督だ。

次から次へと、不思議な展開で、田舎町のふとん屋の私は、ここ磐田市の姉妹都市であるアメリカ・カリフォルニア州のマウンテンビュー市への産業交流会で、この英語バージョンの上映会をすることになった。

かくして、「麻を知ることは日本を知ること」と麻の蚊帳を担いで、太平洋を渡ったのであった。

Googleのあるシリコンバレーで麻の蚊帳を披露

Google本社訪問

2019年、日本の麻の蚊帳を担いで渡米、アメリカ、カリフォルニアでの映画「麻てらす」の上映会を見事成功、Google本社への公式訪問も果たした。

タイ・バンコク ヘンプエキスポ2022で麻の蚊帳を披露

「菊屋ブランドの時代」へ

藍染の蚊帳ベット用

100年以上発行され続けている婦人雑誌「婦人画報」が、この先100年後に伝えたい、次世代に伝え譲りたい日本のよきモノとして、菊屋の藍染めヘンプの蚊帳を選定した。

そこをきっかけに、このようなおおあさ・ヘンプの素材を蚊帳だけでなく、広範囲に活用法を模索するようになった。

麻・ヘンプを安眠素材として、ヘンプストール、ヘンプケット、ヘンプの羽織、等、この素材を用いた菊屋ブランドの構築に取り組む契機となった。

以上、1996年にHPを開設し、平成年間に蚊帳をよみがえらせた菊屋は2004年のアースデー、翌年の愛・地球博開催に当たり、人にも地球環境にやさしい「大麻・ヘンプの蚊帳」の出展依頼を受けて、戦前では当たり前の麻の蚊帳をも開発・復活させてきた。

新しきこととは忘れ去られたものに他ならない

単なる蚊よけ、虫よけの道具(モスキートネット)ではなく、より良い眠り、聖なる眠りに誘う安眠の「スリーピングネット」、癒しの「ヒーリングネット」、さらに祈りの「プレイニングネット」と位置付けられてきました。

麻・ヘンプ生地差し上げます。

おいておくだけで心地いい麻生地。数量限定お申し込みは今すぐ!

お一人様1枚限り 無料(但し送料200円をご負担ください)

蚊帳を通して麻を知るようになった私について

ここまで書き綴った私は1956年(昭和31年)生まれで、1951年創業の三島屋ふとん店(現在:菊屋)の主で、三島治と申します。

詳しくは 菊屋と三島治 ヒストリー

キャップロールとの縁(えにし)

ヒストリー 第四幕「菊屋ブランドの時代」

 

 

伊勢神宮に吊られた菊屋の蚊帳
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