麻は日本の象徴

神宮大麻とヘンプ

神宮大麻と蚊帳

指定外繊維とされ、蚊帳の外へ追い出された「大麻」だが、戦前までは、日本人の精神的な支えでもあった。戦前、大麻・ヘンプは天皇家の元である天照大神の化身とされていたため、日本人の精神的な骨格の一部ともなっていたのだ。

 戦時中の国民学校の黒板の上には、大麻と呼ばれるお札が張られ、「天照大神」と書かれていた。必ず大麻を拝んでから授業が始まったという。

しかし、その大麻は、敗戦によるアメリカの占領政策下で、栽培することも所持することもできなくなり、日本人を骨向きにしてしまったというのである。

 2004年のアースデーは、日本が戦後60年を迎えようとする折りでもあったが、そんなタイミングで日本人の心のよりどころでもあった大麻の蚊帳の復活を依頼されたことで、私には襟を正す思いもあった。

 ただ、大麻の使い方を間違えてはならない。もう二度とあのような戦争を起こしてはならない。私は、憲法九条は、しっかり守らなければならないと思っている。
菊屋の大麻・ヘンプの蚊帳の復活は、世界が平和で、みんな仲良く、「蚊帳の中へ」の思いですすめてきた。間違っても戦争を肯定することになるのは、絶対に反対だ。

 大麻の復活・日本の復活というのは縄文の時代からの、日本人の相手を殺さずに身を守る知恵と、平和の象徴である蚊帳の精神とを再び呼び起こすこと、誰も排除することなく、平和で幸せな国づくりに向かうこと、それを願っているのである。

1万3000年ほども続いた縄文時代の人々の持続可能性を保証したもの、互いに助け合い、わかち合う精神に基づく、原始共同体的な社会づくりに、ヘンプの蚊帳が役立つことを切に望んでいるのである。

 わが国の大麻の歴史は人類最古の繊維である亜麻(リネン)よりも古く、約一万年前の縄文時代の遺跡、福井県小浜市の鳥浜貝塚から、大麻の縄が出土している。

日本人の大麻・ヘンプのある暮らし

ヘンプの注連縄

縄文時代以降も、大麻は神社の鈴縄、注連縄、御幣、下駄の鼻緒、花火の火薬、凧糸、弓弦、相撲の化粧回し、漆喰原料の麻すさ、茅葺屋根材、麻織物、七味唐辛子の一味等々、今でも使われている伝統素材なのである。

大麻は、日本人の生活とのなじみも深く、心のよりどころでもあり、生活基盤を支える植物として無視できない存在なのである。 それにしても、なぜ大麻だけがこのように日本人の心のよりどころ生活基盤としての素材として扱われるようになったのか。古くから日本に存在した苧麻でなくなぜ大麻なのか。その大麻の持つ不思議な力を考えてみることにしたい。

 縄文時代の遺跡からは大麻の繊維片や種が出土している。そもそも「縄文」と命名されたのは、土器の表面に縄をころがしたり、圧しあてて文様を付けたことに由来している。その縄は、大麻をはじめとする植物の茎の繊維から作られた。縄文人たちは大麻や苧麻を活用していたのである。活用するのには、苧麻が多年生の植物なのに対して、大麻は一年生の植物のため、毎年種まきをする必要がある。そのための定め事や準備など、共同体の中での役割分担も必要だったであろう。

 縄文時代には、糸、紐、縄を作る繊維は大麻だけでなく赤(あか)麻(そ)、苧(ちょ)麻(ま)(からむし)、科(しな)、楮(こうぞ)(紙麻)、楡(にれ)、藤(ふじ)、葛(くず)と樹皮から繊維が採れるという共通点を持った植物を、おそらくそのときどきで手に入るものならなんでも使ったのではないかと思う。

  日本の麻という言葉がヘンプ(hemp)と異なる点は、ヘンプが大(たい)麻(ま)だけを指しているのに対し、麻は苧麻、黄(こう)麻(ま)、亜麻(あま)、洋(よう)麻(ま)(ケナフ)など、靱(じん)皮(ぴ)繊維の総称だという点にある。

こういう区分の仕方は、縄文時代までさかのぼれる植物文化だと思われる。というのも、野山の植物の分類は植物の外見、形状により共通するものをグループ分けする。

ところが縄文人は、植物を用途によって分類し、茎から繊維が採れる植物は、みな麻と一括りにしたのではないかと思うのである。とはいえ、それらの中で最も強靱な繊維は大麻だった。一説には現代の家庭菜園のような形で大麻の栽培も行われていたかもしれないともいわれている。

大麻とも付き合いながら、縄文時代の人々は自然の恵みを巧みに利用し、川や海、森、野原の資源から有用な食料や生活資材をたくみに獲得して、多用な生業を営んでいた。

また、縄文時代の遺跡には、集落の間での戦いの痕跡が見出せないといわれる。共同体の中でも外でも、「共存共栄」の関係が続いたとされている。稲作が始まる前の縄文人はみんなが仲良く助け合う、分かち合いの関係が形成されていたといわれるのだ。

縄文人は独自の祭祀を持ち、山や磐座で太陽や大地に祈る、自然崇拝の信仰形態を持っていたのではないだろうか。そして、自然の恵みと、洪水や火山噴火などの災厄も含めて、自分たちをその自然の中で生かされている存在だと信じ、畏れの感情を持って暮らしていたであろう。

大麻・ヘンプで国を興こし動かす

古代のやぐら

 数千年ほど続いたとされる縄文時代から弥生時代に時代は移り、やがて祈りの対象として大麻が加わっていくことになる。弥生時代から古墳時代へ、大陸との頻繁な人と物の交流の時代を経て、やがて邪馬台国の卑弥呼の登場となる。

 邪馬台国はシャーマニズムを柱とした呪術国家であり、卑弥呼はシャーマン(巫女)であった。シャーマニズムとは、恍惚状態(トランス)になったシャーマンと呼ばれる「巫女」を媒体とし、霊界にいる神と交信することによる予言、託宣などのお告げをもって現世の悩みや病気の治療、さらには人々に幸福をもたらす支配と経営の方向性などを見出すといった原始宗教である。

 チベット地方を源としたシャーマニズムは、中央アジア、中国、朝鮮半島をわたって日本にやってきた。今でも各地に残る巫女を媒体とするシャーマニズムの共通点の一つは、麻を神聖化していることにある。巫女が舞うとき、麻の衣装を着用することが必須条件とされたし、さらには最も重要なこととして、今も密教で実習さらている護摩のように、「麻」を焚く儀礼があったということがある。恐らくこれは、大麻の葉や花穂に含まれる向精神性のテトラヒドロカンナビノール (THC) のマリファナ効果を醸し出すためであったろう。これによって巫女はトランス状態となり、呪力が高められると考えられていたようだ。

 通常このシャーマニズムは、大麻とともに「大麻・ロード」とも呼ばれるかいろう沿って、世界各地に伝わったとされるのだが、当時の日本、つまり縄文時代以降の歴史を有する日本には、すでに大麻は存在していた。しかし、我が国に自生する大麻のTHCの含有率は0.08%から1.68%であり、薬用型大麻の基準であるTHC 2%以上という条件を満たさず、マリファナ効果があまりない品種であった。

 これは私の想像の域を出ないが、邪馬台国は大和朝廷の母体であり、シャーマンの卑弥呼を祀り上げるために、その化身として大麻を活用したのではないだろうか。かくして大麻はさらに神聖なものになっていったのだ、と。

 紀元前300年ころから白鳳、飛鳥、そして奈良時代へと、おおよそ千年をかけて、紆余曲折を経ながら古代律令国家の樹立に向けて歩み続けることになる。邪馬台国の卑弥呼の登場から、壬申の乱に勝利した天武天皇によって、大化改新において構想された天皇制律令国家が樹立されるまでの間である。その間のことについて、『古事記』『日本書紀』は、天皇家の神として天照大神を祀り、その化身として伊勢神宮では大麻を祀るようになったと、私は考えている。

これは神の御業である故、私たちの想像をはるかに超える物語でもある。

きっと大麻・ヘンプの中で、卑弥呼も、日本書紀に登場する応神天皇も御殿を造り,その大麻・ヘンプの蚊帳の中で、「国が平和に収まり、人々が幸せであるようにと」政をとりはからったのであろう。

 

                      文責 三島治

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