蚊帳と近江八幡の歴史

近江八幡の歴史 第一巻

近江八幡の歴史 第一巻

蚊帳のメッカともいえる近江八幡市文化 政策部・市史編纂室の亀岡さんがはるばるとここ磐田の 蚊帳の博物館にお越しになり「近江八幡の歴史」の取材をされました。そして、出来上った立派な書籍・近江八幡の歴史 第一巻の贈呈を受けました。

蚊帳と近江八幡の歴史

蚊帳の博物館の蚊帳

近江八幡はお城の石垣づくりの石工や今でも特産品として名高い八幡瓦に代表されるような建築関係の「匠の世界」がありました。

また、蚊帳や畳表の製造にかかわる「技の伝承」があたのですが、その蚊帳についての資料がなかなか手に入らないと言うことではるばるお越しいただいたのでした。

近江八幡の歴史を編集菊屋は、インターネットでこの蚊帳(ネット)を蘇らせはしたものの、長い歴史を有する近江八幡市の市史編纂のお役人がお越しになるとあっては、いささか、襟を正す気持ちでお迎えをしたのでありました。

日本においての蚊帳の始まりは紀元五世紀前後といわれています。が、日本独自のものではなく唐の時代の大陸から渡ってきたものです。その蚊帳が本格的に作られ始めたのは、奈良時代で、材質は絹か木綿で、唐から伝えられた手法で作られ、奈良蚊帳と呼ばれていました。
ですから今でも奈良の蚊帳は綿糸のものが多いのです。

室町時代に入ってから、売れ行きのよい奈良蚊帳に目をつけた近江八幡の商人が材質を麻に変えて、売り出し、評判を集め「八幡蚊帳」といわれるようになりました。

蚊帳は湿気が十分でないと縦糸が切れやすいため、琵琶湖の湿気が得られる、近江の地は蚊帳を織るのに適し、そこで蚊帳生産が根付いたようで今回の「近江八幡の歴史」の中でもこの蚊帳についていろいろと資料を集められているようでした。

近江からこちら遠江へ

ところが、この平成の世の中では近江八幡には蚊帳を作っているところがほとんどないのであります。21世紀を目前にした西暦2000年に蚊帳商工組合もその任務を終えたものと解散してしまったのでありました。

現在寝具のブランドとして有名な西川さんもこの近江八幡の出身でありました。西川仁右衛門が1566年に蚊帳・生活用品販売業を始め、蚊帳を普及させのであります。

その当時の麻製の蚊帳は上流階級の贅沢品で、戦国武将のお姫さんの輿入れ道具としても使われ、「米にして二~三石」もした高級品だっようです。

蚊帳販売の第一人者西川家は蚊帳の改良に力を入れ、1620年代の寛永年間には麻の生地を萌黄(もえぎ)色に染め、紅布の縁をつけたデザインの「近江蚊帳」を販売し、西川家は八幡で一七軒の束ねた講(現在風にいえば蚊帳商工組合)を結成し、その「技の伝承」が続いたの
でありました。

その辺の共有できる話題について亀岡さんといろいろお話をしたのですが、この21世紀に蘇った蚊帳とその蚊帳の使命については、ここ磐田で受け継がせていただきたいとお話をさせていただきました。

蚊帳が日本の夏の風物詩から消えていったのは強力な殺虫剤やアルミサッシ、そしてエアコンの普及です。
もちろん下水道が完備され、水溜りもなくなり、蚊の出現も少なくなったのですが、この21世紀に蚊帳を求める人たちは、その殺虫剤が嫌いで、エアコンよりも自然の風を求めている方々です。また麻の不思議な力を感じ取れる人たちであります。

暑い日本の夏を少しでも涼しく、やすめるようにと近江八幡の方々が蚊帳を製造してこられた精神を、ここ遠州の磐田市でしっかりと受け継がせていただきたいと申し上げました。
相手を殺さずに自らも守ると言う平和の象徴である麻の蚊帳の精神についてもお話をさせていただきました。

「蚊帳の外」と言う寂しい言葉ばかりが残りましたが逆に、その「蚊帳の中」はとても居心地のよい世界であります。

どうぞ、みなさま世界の平和と人類の幸福のためにも今年の夏も「蚊帳の中へ」 

蚊帳と近江八幡 近江八幡の歴史と蚊帳

 

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